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2026年04月08日(水) 07時47分 bysoo_cyan
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こうけいじ
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寺伝によれば、開基比叡山皇慶阿闍梨が長元元年(1028)山城国久世群岩田村に草創し、その後、平康頼の長子左衛門尉清基の末男千代寿が出家して光慶と号し、岩田村光慶寺の住職となった。のに蓮如上人の教化に帰依し天台宗を改めて真宗となる。 天正16年(1588)今の良玄寺の地に光慶寺を創立し、元和3年(1680)12月12日新町からの出火で焼失。 現本堂はその後の建造で桁行18.35m、梁間20.25m、入母屋造り、向拝1間、本瓦葺き、市内の真宗本堂の代表的建築である。 嘉永7年(1854)6月の大地震に寺門は倒壊している。梵鐘は市指定文化財である。 本尊の木造阿弥陀如来立像は室町時代初期の造仏。保存の襖絵は宝暦(1751ー64)のころ豆腐町に住んでいた表具師藤田常栄の筆になるものである。寺に平康頼の赦免状と称する古文書が保存されている。 赦免状は謀反が発覚して鬼界ヶ島へ流された俊寛の一味である丹波少将成恒、平判官や康頼に対して平清盛が出したもので「重科者遠流を免ず、早く帰路の思ひを成べし。今度中宮御産之御祈によって非常の赦行之間、鬼界ヶ島之流人少将成恒、康頼法師赦免之状如件、治承二年七月二十六日、入道相国花押、少将成恒殿、康頼法師」とある。これが光慶寺に伝わったのは、織田信長が近江国石山寺を攻めたときに、僧唯宗が石山方に見方したため、山城を追われ郡山に移ったとき持ってきたためといわれている。
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阿弥陀如来
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瑞巖山
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長元元年(1028)
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比叡山皇慶阿闍梨
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入母屋造り、向拝1間、本瓦葺き
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梵鐘 市指定文化財
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