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わにしたじんじゃ

和爾下神社の御由緒・歴史
奈良県 学研奈良登美ケ丘駅

ご祭神本社大己貴命(一名大国主命)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、稲田姫命
ご由緒

「延喜式」にみえる古い神社です。もとは「和爾部」と「櫟井臣」の祖神とされる孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あまたちしひこくにのおしひと)と日本(やまと)帯彦国押人命が祀られていたそうですが、現在は本社大己貴命(一名大国主命)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、稲田姫命が祀られています。
 古墳が治道山と呼ばれていたところから、治道社(春道社)や牛頭天王社、さらに西隣に建てられた柿本寺との関係で柿本上宮とも呼ばれていました。しかし、明治初年に延喜式内の和爾下神社に当るとの考証から、和爾下神社と定められ、今日に至っています。

歴史
歴史[編集] 古道竜田道と上ツ道の交わる地に鎮座する[1][2]。およそ2.5キロメートル西の大和郡山市和爾下神社(下治道宮)に対して、上治道(かみはるみち・かみじどう)宮、上治道天王とも呼ばれる[2]。延喜式神名帳添上郡にみえる和尓下神社二座の一座とされる[2]。この神社は本来は和珥氏同族の柿本氏の祖神を祀る神社で、その本源は和珥氏の祖神天足彦国押人命であったのではないかとみられる[1]。 鎮座地は東大寺領の櫟庄にあたり、神護景雲年中からため池や水路の開発、横田道(竜田道)の改修も行われたと『東大寺続要録』に見える[1][2]。『柿本朝臣人麻呂勘文』には「添上郡石上寺傍有社、称春道社、...Wikipediaで続きを読む
引用元情報和爾下神社 (天理市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%92%8C%E7%88%BE%E4%B8%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%A4%A9%E7%90%86%E5%B8%82%29&oldid=90123145

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