わにしたじんじゃ
和爾下神社の編集履歴
ご由緒
「延喜式」にみえる古い神社です。もとは「和爾部」と「櫟井臣」の祖神とされる孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あまたちしひこくにのおしひと)と日本(やまと)帯彦国押人命が祀られていたそうですが、現在は本社大己貴命(一名大国主命)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、稲田姫命が祀られています。
古墳が治道山と呼ばれていたところから、治道社(春道社)や牛頭天王社、さらに西隣に建てられた柿本寺との関係で柿本上宮とも呼ばれていました。しかし、明治初年に延喜式内の和爾下神社に当るとの考証から、和爾下神社と定められ、今日に至っています。
編集前:「延喜式」にみえる古い神社です。もとは「和爾部」と「櫟井臣」の祖神とされる孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あまたちしひこくにのおしひと)と日本(やまと)帯彦国押人命が祀られていたそうですが、現在は本社大己貴命(一名大国主命)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、稲田姫命が祀られています。
古墳が治道山と呼ばれていたところから、治道社(春道社)や牛頭天王社、さらに西隣に建てられた柿本寺との関係で柿本上宮とも呼ばれていました。しかし、明治初年に延喜式内の和爾下神社に当るとの考証から、和爾下神社と定められ、今日に至っています。
見所
和爾下神社は古墳(古墳時代前期)の上に所在します。
この地域では古い前方後円墳で、鬱蒼とした森に包まれた、静かな場所です。
本殿は、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺で桃山時代の様式をそなえ、国の重要文化財に指定されています。
他に末社として12社が祀られています。
毎年、7月14日に祇園祭、10月第2日曜日には秋祭りが行われ、屋台などで賑わいます。 (出典:奈良県観光協会紹介ページ:下記)
編集前: 和爾下神社は古墳(古墳時代前期)の上に所在します。
この地域では古い前方後円墳で、鬱蒼とした森に包まれた、静かな場所です。
本殿は、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺で桃山時代の様式をそなえ、国の重要文化財に指定されています。
他に末社として12社が祀られています。
毎年、7月14日に祇園祭、10月第2日曜日には秋祭りが行われ、屋台などで賑わいます。 (出典:奈良県観光協会紹介ページ:下記)
御朱印
あり