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2025年04月29日(火) 08時57分 bysoo_cyan
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34.6863903
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135.8404917
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135.8366952
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華厳宗大本山東大寺境内御堂
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630-8211
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奈良県奈良市雑司町406−1
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奈良県奈良市雑司町406−1 東大寺戒壇堂
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天平勝宝6年(754年)、当時、中国における戒律の第一人者、唐の僧、鑑真が来朝し、大仏殿の前に戒壇を築き、聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇をはじめ、440余人に戒を授け、翌年の9月に戒壇院が建立された。 創立当時は、金堂、軒廊、回廊、僧坊、鳥居、脇戸等があったという(東大寺要録)。 そののち、治承4年(1180年)、文安3年(1446年)、永禄10年(1667年)の三度、火災にかかり、、創建当時の伽藍は全て灰燼に帰した。 現在の戒壇堂は享保17年(1732年)に建立されたものである。 戒壇とは受戒の行われるところで、受戒とは僧侶として守るべき事を確かに履行する旨を仏前に誓う儀式で尤も厳粛なものであり、従って、戒壇は神聖な場所である。 戒壇はご覧の通り三段になっているが、これは大乗菩薩の三聚浄戒(①攝律儀戒、②攝善法戒、③攝衆生戒)を表したものである(三国仏伝伝通縁起)。 堂内には四天王(塑造)および多宝塔(木造)を安置する。 四天王はもと銅造のものであったが、今はない。 現在の有名な四天王は東大寺内の中門堂から移されたものといわれ、天平時代の傑作である。 四天王は仏法の守護神として我が国においては既に飛鳥時代から信仰があり、天平時代に最高潮に達した。 身にまとう甲冑は遠く中央アジアの様式で、文化の広大なることを物語っている。 静にして動、動にして静、彫刻における理想境を具現したものとして世界的水準をゆくものである。 中央の多宝塔は、享保17年(1732年)、当堂と共に造顕されたものといわれ、中に鑑真和上が来朝したとき、唐から将来したといわれる釈迦、多宝の二仏を模したものをまつる
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四天王像(多聞天、広目天、持国天、増長天) 754年(天平勝宝6)、聖武上皇は光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真(がんじん)から戒を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院を建立
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釈迦・多宝如来二仏
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8:30~16:00
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800円 小学生400円 団体700円
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戒壇院
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754年(天平勝宝6年)
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鑑真和上
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国宝 ・四天王像
