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2025年04月30日(水) 11時06分 bysoo_cyan

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通称
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香山薬師寺、香薬寺
ご由緒
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寺伝によれば天平19年(747)に光明皇后が、聖武天皇の眼病が治るように行基に建立させ、七仏薬師如来を安置したといわれています。かつては七堂伽藍が整った由緒ある寺院でしたが、現在は本堂(国宝)だけが残っています。
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新薬師寺は天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后が創建されました。聖武天皇は天平15年(743)に近江国信楽宮で毘盧遮那大仏造立に着手されましたが、天平17年(745)に入り山火事と地震が頻発したため中断し平城宮に戻られ、大仏建立は平城宮真東の山麓(現在の東大寺)で再開されましたが天皇は体調をくずされました。そこで天皇の病気平癒のため近郊の名高い山、清らかな場所で薬師悔過(やくしけか)が行われ、都と諸国に薬師如来七軀を造立し、薬師経七巻を写経することが命じられました。平城宮東の春日山の香山堂でも、僧侶たちが精進潔斎してお籠りし、薬師悔過が勤修されたと考えられています。これをきっかけに、光明皇后によって春日山、高円山の麓に、新薬師寺(当時は香山薬師寺、香薬寺とも呼ばれた)が造営されました。天平勝寶4年(752)、東大寺で大仏開眼供養が営まれました。
 新薬師寺の金堂には、七仏薬師(善名称吉祥王如来、宝月智厳光音自在如来、金色宝光妙行成就如来、無憂最勝吉祥如来、法海雷音如来、法海勝慧遊戯神通如来、薬師瑠璃光如来)が祀られていました。金堂は平安時代、応和2年(962)の台風により倒壊し現存しませんが、現在の本堂の西方約150mやや南寄りにあり、堂内に七仏薬師、脇侍の菩薩二軀ずつ、十二神将が並んだ東西に長い御堂(横幅約600m)だったことが最近の発掘調査で確認されました。その他に壇院、薬師悔過所、政所院、温室、造仏所、寺園、東西の塔が存在したことが史料からわかります。鎌倉時代までに、東門、南門、地蔵堂、鐘楼などが建てられ、本堂を中心とした現在の伽藍が整備され、修理を繰り返し今に至っています。現在でも毎年1月8日と4月8日には薬師悔過が行われています。
ご祭神/ご本尊
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薬師如来像(国宝)
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薬師如来
トイレ
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鐘楼裏手にあり
創立
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747年(天平19年)
本殿/本堂の建築様式
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桁行七間梁行五間、入母屋造、本瓦葺
巡礼
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西国薬師四十九霊場第6番
大和十三仏霊場第7番 
大和北部八十八ヶ所霊場第8番
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西国薬師四十九霊場第6番
大和十三仏霊場第7番 
大和北部八十八ヶ所霊場第8番
行事
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1月8日 修正会
4月8日 修二会
毎月8日 薬師縁日法要
文化財
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本堂、十二神将像(国宝) 
南門、地蔵堂ほか(重要文化財)
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国宝
・本堂
・薬師如来坐像
・十二神将立像
重要文化財
・鐘楼、梵鐘
・南門
・東門
・地蔵堂