みたちやまいなりじんじゃ
御館山稲荷神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 宇迦之御魂神,大宮売神,猿田彦神 | |
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創建時代 | 1750年(寛延3年) | |
ご由緒 | 「日に一度御館の山に祈るこそ二十の吾の日課にてありき」と郷土の詩人伊東静雄に詠まれた当神社は、県央諫早、宇都の霊場に鎮座する。 御館山は、1300年前の大宝年間(西暦701~703年)に、行基菩薩が九州巡行の折、五智光山として開基された。平安末期、鎮西八郎為朝が館を築き武術を練ったことから、御館山と呼ばれるようになったと伝えられている。 山頂には元禄5(1692)年 五智光山 四面上宮、宝暦元(1751)年 豊前英彦山の豊前坊が鎮座されている。また山中には霊塚が多数散在し、稲荷信仰の霊地として「幸恵美山―こうえみさん」と民衆の崇拝で賑わってきた。 寛延三(1750)年、諫早藩主八代・茂行公の代、親藩鍋島家との間に百姓一揆(諫早一揆)が起こり、所領召し上げによって民衆は困窮を極め、各地の神社に返地の祈願が行われた。その折、佐賀綾部八幡の御神託により、京都伏見稲荷を勧請し、上り地返還、諸願成就、領内安泰を祈願するため正林の大乗院に社殿を建立し祭祀された。 その後、明和四(1767)年、先に没収となった領地は全部返還されたが、これは稲荷神社の御加護によるものとして、この大神を篤く祀ることとなった。 明治五(1872)年、社寺分祀の令により、この稲荷社を御館山に移し、十五代・武春公の代に祭祀された藤の森稲荷神社と合祀した。以来、衣食住の祖神、生産豊饒・商売繁盛・家運長久・家内安全・除災招福・交通安全の守護神として現在に至っている。 また御館山稲荷神社の境内には、本殿以外にも『鎮西八郎為朝ゆかりの矢受け石』『四面上宮と船魂明神』『開運の神として知られる豊前坊』『奥殿』など参拝場所が点在しています。 また春には満開の桜や桃、秋には境内から望む中秋の名月など四季折々の風情を感じることができます。
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