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2025年03月20日(木) 08時12分 by神祇伯
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当社の創建は不詳であるが、通説として伝えられていることは、「歴代鎮西要略」に記載されている「大宝元年(七〇一)、温泉(在雲仙)の分身末社として、山田神、有江神、千々石神、伊佐早神」の四神が蔵神として鎮座したという記録を典拠としている。 また温泉神社は別当寺として満明寺一乗院を併置し修験道が行われ、当社も一乗院の支配下に在って神仏混淆(神仏を併せて奉祀する)の社であった。 神社明細版(明治八年編)は「貞観三年(八六一)九月建立、寛永十四年(一六三七)、キリスト教の乱に社殿旧記悪く焼失」と記述しているが、天正八年(一五八〇)領主有馬晴信のキリシタン改宗政策により仏教破壊の指令に基づき仏教関係の破壊投棄が行われ、古来からの修験道の歴史はこの時一端断絶した。 島原の乱終結後、寛永十五年三月再建され四面大明神として修験道も復活し金剛読の併置となった。 明治三年三月神仏分離の政策により再び仏教は分離され神社一元化となり温泉神社と改称された。 藩政時代は藩主松平候の崇敬も厚かったが、遠く肥薩豊日の諸侯の参詣もあったと伝えられている。 境内出土の仏石は本殿裏の遺跡苑に奉祀され神仏混淆時代の面影を留めている。
編集後
当社の創建は不詳であるが、通説として伝えられていることは、「歴代鎮西要略」に記載されている「大宝元年(七〇一)、温泉(在雲仙)の分身末社として、山田神、有江神、千々石神、伊佐早神」の四神が蔵神として鎮座したという記録を典拠としている。 また温泉神社は別当寺として満明寺一乗院を併置し修験道が行われ、当社も一乗院の支配下に在って神仏混淆(神仏を併せて奉祀する)の社であった。 神社明細版(明治八年編)は「貞観三年(八六一)九月建立、寛永十四年(一六三七)、キリスト教の乱に社殿旧記悪く焼失」と記述しているが、天正八年(一五八〇)領主有馬晴信のキリシタン改宗政策により仏教破壊の指令に基づき仏教関係の破壊投棄が行われ、古来からの修験道の歴史はこの時一端断絶した。 島原の乱終結後、寛永十五年三月再建され四面大明神として修験道も復活し金剛読の併置となった。 明治三年三月神仏分離の政策により再び仏教は分離され神社一元化となり温泉神社と改称された。 藩政時代は藩主松平候の崇敬も厚かったが、遠く肥薩豊日の諸侯の参詣もあったと伝えられている。 境内出土の仏石は本殿裏の遺跡苑に奉祀され神仏混淆時代の面影を留めている。 [境内由緒書きより]