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島原護国神社ではいただけません
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島原護国神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月28日(金)
参拝:2023年2月吉日
【肥前國 古社巡り】
島原護国神社(しまばら・ごこく~)は、長崎県島原市弁天町にある神社。旧社格は県社。祭神は国家公共に尽くした人の神霊。
創建は明治時代初期の1872年、奥羽の役(1868年)の戦没者の慰霊・顕彰のため社祠を設け墓碑を建て鎮座際を行ったのが始まり。のち祭祀修繕が官費となり、社号を招魂社から官祭招魂社に改めた。1900年には天誅組や天狗党に参加した殉職者、日清戦争の戦没者を合祀、1939年には社号を「島原護国神社」と改称した。
当社は、島原鉄道・霊丘公園体育館駅の南東100mの霊丘公園の東部、海際の小丘の上にある。霊丘公園自体は元々霊丘神社の境内であったと思われるので、当社は霊丘神社の境内に間借りしていた形かと思われる。小丘はサッカーグランドの東側にあってけっこうな広さがあるが、瑞垣で囲われた当社境内は広くはない。また、社殿は建物ではなく石製小祠なので、かつて県社であった頃はいかほどであったかを想像することは難しい。
今回は、長崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、自分以外に参拝者はいなかった。
当社は霊丘公園の海側東端にある。サッカーグランドの向こうの小丘上に境内がある。
小丘のアップ。神社の看板は見当たらない。
小丘の階段を登って行く。
小丘を登り切ったところにある境内。南向きに神門が建ち、神域が瑞垣で囲われている。
ここにも扁額や表札はないが、錆びて崩れ落ちた鉄製の由緒書があるので社名が分かる。
ここにも扁額や表札はないが、錆びて崩れ落ちた鉄製の由緒書があるので社名が分かる。
神域周辺にあった石碑。(あまり字が読めない...(^_^;))
神門をくぐったところからの眺め。あれ?パッと見、何もない?
まず左端にあるのは<奥羽役殉難之碑>。1868年の奥羽の役に出兵して殉死した島原藩士を顕彰している。
中央にあるのが<社殿>。扉付きの石製小祠の内部には板があって「殉国者云々」と書かれている。
1000社以上の神社を見た中で、社殿が最小の旧県社。(;゚Д゚)
1000社以上の神社を見た中で、社殿が最小の旧県社。(;゚Д゚)
最後に右端にあるのは<忠魂碑>。
最後に、小丘の東端から見た<有明海>。小高い場所にあるので対岸まで見渡せる。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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