まつもりてんまんぐう
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松森天満宮ではいただけません
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松森天満宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月05日(金)
参拝:2023年2月吉日
【肥前國 古社巡り】(長崎11社スタンプラリー / 2社目)
松森天満宮(まつのもり・てんまんぐう)は、長崎県長崎市上西山町にある神社。祭神は菅原道真公。諏訪神社、伊勢宮とともに「長崎三社」の1つとされている。
当社の創建は江戸時代初期の1625年。のち1656年に諏訪神社の跡地である現在地に遷座した。社名は、当時当地に3本の松が生えていて、3つの木を合わせると森の字になることから命名されたと伝わる。当社本殿奥の瑞垣の欄干間には、1713年の社殿改修の際に奉納された「職人尽(しょくにんづくし;中世の職人風俗を彫刻彩色したもの)」が薄肉浮彫りにされた30枚の板が嵌めこまれている。
当社は、長崎電気軌道・諏訪神社駅の北方300mの緩やかな傾斜地の中腹にある。樹木が多めの境内は諏訪神社の跡地というだけあってなかなかの広さがある。大きな社殿の周りには多くの境内社が建っておりなかなか見応えがある。ちょうど梅の季節であったため、天満宮の雰囲気も抜群だった。
今回は、「長崎三社 / 長崎五社」の1社、長崎11社スタンプラリーの1社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、遅い時間ではあったが自分以外にも数人参拝者を見掛けた。
長崎県を代表する神社「諏訪神社」の参道脇にある、当社の看板。
ここから北東に150m進んだところに当社入口がある。
ここから北東に150m進んだところに当社入口がある。
境内南端入口全景。階段を登って<神門>をくぐると広い境内。
階段を登って神門をくぐったところからの眺め。
参道左手少し離れたところに見える<老梅殿>。神楽殿のようなものかな?(。´・ω・)?
参道を進んで<一の鳥居>。明治末期の1911年の建立。石扁額には「天満宮」の文字。
神橋を渡って、参道左側にある<手水舎>。
二の鳥居をくぐり抜けると、神域入口の<注連柱>が立っている。
参道左側の<狛犬>。現代的な線の太いタイプ。
参道右側の<狛犬>。
<拝殿>全景。
<拝殿>正面。
拝殿前右側にある<撫で牛>。
拝殿から振り返って境内全景。
注連柱近くまで戻って<臨時授与所>。通常は無人みたい。
「長崎11社スタンプラリー」のスタンプはこちらに置いてある。
「長崎11社スタンプラリー」のスタンプはこちらに置いてある。
臨時授与所の近く、拝殿に向かって左手方向に立っている<御神木>。
御神木の近くにある境内社。「老松神社」と「猿田彦神社」の2つの表札が掛かっている。
境内社近くから見た<本殿>全景。
本殿を囲む<瑞垣>。欄干間には<職人尽(しょくにんづくし)>が見られる。
本殿の裏手を通って右側に廻る。こちらは<大学稲荷神社>。
大学稲荷神社の右隣にある<五方殿>。
五方殿の右隣にある<塞神三柱社>。
塞神三柱社の右隣にある<天満宮>?当社・松森天満宮に境内社「天満宮」があるのは変だと思ったら、
社殿の表札には「大工町天満宮」、「今博多町天満宮」とある。なるほど、移転合祀の天満宮なのね。(^_^;)
社殿の表札には「大工町天満宮」、「今博多町天満宮」とある。なるほど、移転合祀の天満宮なのね。(^_^;)
と思ったらさらに右隣にはまたまた鳥居に「天満宮」の石扁額。
ただ、こちらは赤い社殿に狛狐、「稲荷神社」ですね~♪
ただ、こちらは赤い社殿に狛狐、「稲荷神社」ですね~♪
稲荷神社の鳥居の脇にある境内社。「***神」と刻まれているが、複雑な漢字が読めない。
神域外の広場に戻って、老梅殿の裏手にある<社務所>(左)と<老松殿>(右)。御朱印はピンポンを押して社務所にて。
老松殿には、たくさんのニワトリが雨宿りをしている。
最後に、当社境内、神橋付近で満開になっていた<紅梅>。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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