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西山神社ではいただけません
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西山神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年06月15日(木)
参拝:2023年6月吉日
in長崎Ⅲ最終 三社目 西山神社⛩️
夕方には北九州に戻らないとならない為今回スタンプラリーは3社で終了。 息子の配慮で今日のお参りは車では乗り入れが出来ないこの3社を優先して案内してくれたそうです。 次回長崎訪問時にはタイミングが合えば同行するけど合わなければ夫婦2人でも楽にあとのスタンプラリーはお詣り出来るそうです。 ありがとう😊
西山神社は車を停めるところがありません。 車が入れない坂の階段の民家をくねくねと歩いて行きます。 上に車を停めそこからは神社の杜🌳がすぐ近くに見えてましたが、実際階段を降りてくねくね行くと15分ほどかかりました😅 帰りはこの坂を上がって行かねばなりません💦 長崎ならではでしょうか😅 でも旅って感じでいいですよ😉
結婚式のスピーチをしてくれた高校の時の友人がこの西山地区に住んでいるとの事。 タイミングが合えば友人と散策し、今回御朱印ご拝受出来ませんでしたので御朱印を📕。
宮司さんは日頃高校で先生をされてるようです。 土日祝日の方がよろしいのかな?
御祭神
天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神
由緒
長崎聖堂の学頭で唐通事 盧草拙(ろ そうせつ)が1660年代から奉祀していた北辰妙見尊星と諏訪神社吟味役村田四郎次が奉祀していた妙見尊神を草拙有地であったこの浄地に神社を建てて祀ることとし妙見様を信仰していた時の長崎奉行石河土佐守の許可を得て1717年から二年間の歳月をかけて1719年8月25日に社殿全部完成し西山妙見神社と称えられ永らく北辰妙見大菩薩鎮宅霊符尊神鎮座の霊域となった。
明治2年神仏混淆(こんこう)禁止令により御祭神を造化三神に改め西山神社と改称され今日に至っているが、社殿に奉納された白蛇・龍の額や絵が見られるのは白蛇や龍が妙見様の使者であったからである。
〜 〜 〜 (省略)
(境内の案内板より)
今回スタンプラリー3社。 前回2社。 残り6社。
早く長崎行きたいなぁ😉
夕方には北九州に戻らないとならない為今回スタンプラリーは3社で終了。 息子の配慮で今日のお参りは車では乗り入れが出来ないこの3社を優先して案内してくれたそうです。 次回長崎訪問時にはタイミングが合えば同行するけど合わなければ夫婦2人でも楽にあとのスタンプラリーはお詣り出来るそうです。 ありがとう😊
西山神社は車を停めるところがありません。 車が入れない坂の階段の民家をくねくねと歩いて行きます。 上に車を停めそこからは神社の杜🌳がすぐ近くに見えてましたが、実際階段を降りてくねくね行くと15分ほどかかりました😅 帰りはこの坂を上がって行かねばなりません💦 長崎ならではでしょうか😅 でも旅って感じでいいですよ😉
結婚式のスピーチをしてくれた高校の時の友人がこの西山地区に住んでいるとの事。 タイミングが合えば友人と散策し、今回御朱印ご拝受出来ませんでしたので御朱印を📕。
宮司さんは日頃高校で先生をされてるようです。 土日祝日の方がよろしいのかな?
御祭神
天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神
由緒
長崎聖堂の学頭で唐通事 盧草拙(ろ そうせつ)が1660年代から奉祀していた北辰妙見尊星と諏訪神社吟味役村田四郎次が奉祀していた妙見尊神を草拙有地であったこの浄地に神社を建てて祀ることとし妙見様を信仰していた時の長崎奉行石河土佐守の許可を得て1717年から二年間の歳月をかけて1719年8月25日に社殿全部完成し西山妙見神社と称えられ永らく北辰妙見大菩薩鎮宅霊符尊神鎮座の霊域となった。
明治2年神仏混淆(こんこう)禁止令により御祭神を造化三神に改め西山神社と改称され今日に至っているが、社殿に奉納された白蛇・龍の額や絵が見られるのは白蛇や龍が妙見様の使者であったからである。
〜 〜 〜 (省略)
(境内の案内板より)
今回スタンプラリー3社。 前回2社。 残り6社。
早く長崎行きたいなぁ😉
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