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おおうらてんしゅどう|カトリック教会

大浦天主堂の御由緒・歴史
長崎県 石橋駅

創建時代1865年(慶応元年)
開山・開基ベルナール・プティジャン
ご由緒

日本が開国すると、長崎にも外国人居留地が形成され、外国人信徒のために大浦天主堂が建設されます。ローマ教皇は、開国する日本への再布教を目指して、パリ外国宣教会へとその使命を託していました。長崎にはフューレ神父、プティジャン神父らが派遣されました。
天主堂の完成後、浦上という地域の潜伏キリシタンたちが大浦天主堂を訪れ、プティジャン神父に自分たちがキリシタンであることを告げました。潜伏キリシタンとプティジャン神父の出会いは、お互いが待ち望んでいた大きな出来事でした。
潜伏キリシタンと神父の出会いが果たされた後、潜伏キリシタンたちは再び神父の指導を求めるようになりました。大浦天主堂には長崎各地から潜伏キリシタン共同体の代表者が訪れるようになり、いまだ禁教のなかで、密かな布教活動が開始されました。
そのような状況で、新たに教えを受けた信徒たちが自らの信仰を公にしはじめます。江戸幕府、そして明治政府もキリスト教の信仰を認めず、浦上や五島、木場(大村)の信徒たちが再び厳しい弾圧を受けました。
1873年、キリシタン禁制の高札が撤去され、実質的にキリスト教の信仰が認められるようになりました。プティジャン司教やド・ロ神父をはじめとする、多くのパリ外国宣教会の神父たちが布教と司牧に活躍し、信徒たちに慕われていたエピソードも残っています。
大浦天主堂の敷地には、日本人司祭を育てるための神学校が建設され、1875年に「長崎公教神学校」としてスタートしました。大浦天主堂は、長崎を中心に、日本のカトリック再布教を担う重要な拠点となっていきます。
(大浦天主堂公式HPから引用)

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