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仏法紹隆寺ではいただけません
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仏法紹隆寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年09月24日(日)
参拝:2023年7月吉日
猛暑の日が続くので、涼みに長野県の霧ヶ峰高原へ行った帰り道に、以前から拝観したいと思っていた諏訪市に在る鼈澤荘厳山 大虚空蔵院 佛法紹隆寺を参拝してきました。
高野山真言宗で、本尊は薬師如来。
こちらの普賢菩薩騎象像と不動明王立像は県指定文化財(長野県では「県宝」と言う)で、諏訪大明神本地普賢菩薩騎象像は令和4年に市指定文化財になりました。参拝してから知りましたが、県宝の普賢菩薩騎象像は毎年5月の最終日曜日に開帳されるとの事でした。(う~ん残念。ピンポイントで行くのは難しい。)
伝えによれば、806年に征夷大将軍の坂上田村麿が諏訪大明神へ戦勝報告の際に、神宮寺(廃仏毀釈で廃寺)と共に創建。その後、空海により神宮寺を真言宗流布の寺とし、当山を真言宗の学問の道場とした。開山当初より天正年中まで諏訪大社の別当職を務めた。天正時代に現在地に移転し、その時に仏法紹隆寺と改号。江戸時代には諏訪高島藩の祈願寺になった。大正時代に火災に遭い、本堂・庫裡・金剛殿・回廊・開山堂を焼失したが、金剛殿・回廊以外は再建され現在に至ります。
斜度のある細い道を上がって行くと右側に駐車場(第1駐車場。更に道を上がって行くと第2駐車場がある)がありましたので停めさせて頂きました。寺号柱の横を抜けてコンクリート製の冠木門をくぐると山門(諏訪大社上社神宮寺の山門を移築したもの)です。山門をくぐると正面に本堂、西向きに建てられています。左側には手前から聖天堂、手水、成田堂、智映堂、鎮守社。右側には手前から鐘楼、寺務所(拝観受付)、庫裏です。早速、寺務所で拝観をお願いします。拝観料(500円)を納めて、御朱印をお願いしたらカード(寺カード)を2枚頂きました。(5種類?のカードから好きなカードを選ぶ。支払額により頂ける枚数が変わる模様。)寺務所を通り抜けて、順路に従って拝観します。
最初に宝物殿。寺宝等が収蔵・展示されており、運慶作と伝わる不動明王立像(県宝)があります。高さ約42cmの小像、鎌倉時代の作、力強い作風から慶派仏師によるものと考えられています。(館内撮影禁止であり、2ヶ月前の事を思い出しながらですので、恥ずかしながら他は余り記憶に残っていないです。)
次に普賢堂(昭和53年に高野山東京別院の本堂を移築したもの)。堂内に上がらせて頂くと、内陣の真ん中に安置の諏訪大明神本地普賢菩薩騎象像にスポットライトが当たり、幻想的というか、神秘的というか、格好いい。元は諏訪大社上社神宮寺の普賢堂の本尊で、明治初期の廃仏毀釈によりこちらへ遷されました。この普賢菩薩像は安土桃山時代に再製されたもので、台座の象は鎌倉時代の作。仏像と台座の製作時代が違う理由は、1582年に織田信長が武田勝頼討伐のため諏訪へ進軍し、諏訪大社上社を焼き討ちにした際、辛うじて象の部分は残ったが、普賢菩薩像部分が亡失したためです。
普賢菩薩騎象像の後方の右側の厨子に大日如来坐像、左側の厨子に弘法大師像です。真ん中の厨子にもう1躯の県宝・普賢菩薩騎象像が安置されていると思います。元は諏訪大社上社神宮寺の如法院の本尊で鎌倉時代の院派の作。同じく明治初期の廃仏毀釈によりこちらへ遷されました。今回は拝観出来ませんでしたが写真だけ載せました。象の向きが違いますね。
右側の脇間には文殊菩薩騎獅像と毘沙門天立像、左側の脇間には十一面観音立像が祀られていました。
普賢堂を出て、諏訪市名勝の仏法寺庭園を眺めながら本堂へ。この庭園は安土桃山庭園と江戸庭園と明治大正庭園から成っており、趣のある庭園でした。本堂には本尊・薬師如来坐像、江戸時代の作のため文化財無指定ですが、なかなかハンサムなお顔でした。
寺務所に戻り、預けておいた御朱印帳を受取り、帰路に着きました。
高野山真言宗で、本尊は薬師如来。
こちらの普賢菩薩騎象像と不動明王立像は県指定文化財(長野県では「県宝」と言う)で、諏訪大明神本地普賢菩薩騎象像は令和4年に市指定文化財になりました。参拝してから知りましたが、県宝の普賢菩薩騎象像は毎年5月の最終日曜日に開帳されるとの事でした。(う~ん残念。ピンポイントで行くのは難しい。)
伝えによれば、806年に征夷大将軍の坂上田村麿が諏訪大明神へ戦勝報告の際に、神宮寺(廃仏毀釈で廃寺)と共に創建。その後、空海により神宮寺を真言宗流布の寺とし、当山を真言宗の学問の道場とした。開山当初より天正年中まで諏訪大社の別当職を務めた。天正時代に現在地に移転し、その時に仏法紹隆寺と改号。江戸時代には諏訪高島藩の祈願寺になった。大正時代に火災に遭い、本堂・庫裡・金剛殿・回廊・開山堂を焼失したが、金剛殿・回廊以外は再建され現在に至ります。
斜度のある細い道を上がって行くと右側に駐車場(第1駐車場。更に道を上がって行くと第2駐車場がある)がありましたので停めさせて頂きました。寺号柱の横を抜けてコンクリート製の冠木門をくぐると山門(諏訪大社上社神宮寺の山門を移築したもの)です。山門をくぐると正面に本堂、西向きに建てられています。左側には手前から聖天堂、手水、成田堂、智映堂、鎮守社。右側には手前から鐘楼、寺務所(拝観受付)、庫裏です。早速、寺務所で拝観をお願いします。拝観料(500円)を納めて、御朱印をお願いしたらカード(寺カード)を2枚頂きました。(5種類?のカードから好きなカードを選ぶ。支払額により頂ける枚数が変わる模様。)寺務所を通り抜けて、順路に従って拝観します。
最初に宝物殿。寺宝等が収蔵・展示されており、運慶作と伝わる不動明王立像(県宝)があります。高さ約42cmの小像、鎌倉時代の作、力強い作風から慶派仏師によるものと考えられています。(館内撮影禁止であり、2ヶ月前の事を思い出しながらですので、恥ずかしながら他は余り記憶に残っていないです。)
次に普賢堂(昭和53年に高野山東京別院の本堂を移築したもの)。堂内に上がらせて頂くと、内陣の真ん中に安置の諏訪大明神本地普賢菩薩騎象像にスポットライトが当たり、幻想的というか、神秘的というか、格好いい。元は諏訪大社上社神宮寺の普賢堂の本尊で、明治初期の廃仏毀釈によりこちらへ遷されました。この普賢菩薩像は安土桃山時代に再製されたもので、台座の象は鎌倉時代の作。仏像と台座の製作時代が違う理由は、1582年に織田信長が武田勝頼討伐のため諏訪へ進軍し、諏訪大社上社を焼き討ちにした際、辛うじて象の部分は残ったが、普賢菩薩像部分が亡失したためです。
普賢菩薩騎象像の後方の右側の厨子に大日如来坐像、左側の厨子に弘法大師像です。真ん中の厨子にもう1躯の県宝・普賢菩薩騎象像が安置されていると思います。元は諏訪大社上社神宮寺の如法院の本尊で鎌倉時代の院派の作。同じく明治初期の廃仏毀釈によりこちらへ遷されました。今回は拝観出来ませんでしたが写真だけ載せました。象の向きが違いますね。
右側の脇間には文殊菩薩騎獅像と毘沙門天立像、左側の脇間には十一面観音立像が祀られていました。
普賢堂を出て、諏訪市名勝の仏法寺庭園を眺めながら本堂へ。この庭園は安土桃山庭園と江戸庭園と明治大正庭園から成っており、趣のある庭園でした。本堂には本尊・薬師如来坐像、江戸時代の作のため文化財無指定ですが、なかなかハンサムなお顔でした。
寺務所に戻り、預けておいた御朱印帳を受取り、帰路に着きました。
御朱印
頂いたカード(寺カードと言うらしい)
山門
本堂
鐘楼
聖天堂
手水
成田堂
智映堂
鎮守社
庫裏・寺務所(拝観受付)
境内図と拝観順路(赤矢印)
手前に宝物殿、奥に普賢堂
宝物殿
不動明王立像(ネットから転載)
普賢堂
普賢堂内陣
諏訪大明神本地普賢菩薩騎象像
普賢菩薩騎象像(ネットから転載)
文殊菩薩騎獅像
毘沙門天立像
十一面観音立像
本尊・薬師如来坐像
ここからオマケ
霧ヶ峰高原のニッコウキスゲ
(昔は至る所で咲いていたが、獣害等によりかなり減ってしまった。獣害対策電気柵は見映えが良くないが仕方無い。)
霧ヶ峰高原のニッコウキスゲ
(昔は至る所で咲いていたが、獣害等によりかなり減ってしまった。獣害対策電気柵は見映えが良くないが仕方無い。)
なでしこ
蓼の海公園の「蓼の海(ため池)」
すてき
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nomuten970投稿
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