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寳蔵寺ではいただけません
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寳蔵寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年06月13日(木)
参拝:2024年6月吉日
信濃三十三観音霊場第二十三札所である寳蔵寺さんに参拝してきました。岩山に鎮座しており、入り口に置かれた竹の杖を拝借して急な階段を登りました。
本堂は、背面は岩の中に作られており、奥の院(木曽義仲が勝利願に訪れた場所)は洞窟になっています。
当山の縁起
当山は今から約1200年前比叡山第三代座主慈覚大師円仁によって開かれ、御本尊は大師謹刻の聖観世音菩薩を安置いたしております。
現在の堂宇は250年程前安永六年の建立で、以前は裏の洞窟中に安置されておりました。
義仲の参詣
木曽冠者源義仲は平家追討の令旨を受け、木曽よりこの地(依田城)に来たつて信濃、関東の兵を集めて軍団を整え、北陸路より京都に攻め上がりました。
その折当山に戦祈願に参り、馬で登った道が現在「義仲馬大門」と呼ばれ、又手植の桜が「義仲桜」として往時を伝えております。
親鸞上人の留錫
後鳥羽上皇の念仏停止の宣下により法然上人は四国に親鸞上人は越後に流罪となりました。
四年後の建暦元年(1211年)放免となりましたが上人は京都には戻られず関東は常陸の国笠間に向かわれました。
その途路善光寺にしばらく滞在されたあと当山に立ち寄られましたがその折上人より萬病に効く薬の製法を伝授されたと伝えられ「萬応散」と云う名前で明治の始め頃まで当山で売られておりました。
本堂は、背面は岩の中に作られており、奥の院(木曽義仲が勝利願に訪れた場所)は洞窟になっています。
当山の縁起
当山は今から約1200年前比叡山第三代座主慈覚大師円仁によって開かれ、御本尊は大師謹刻の聖観世音菩薩を安置いたしております。
現在の堂宇は250年程前安永六年の建立で、以前は裏の洞窟中に安置されておりました。
義仲の参詣
木曽冠者源義仲は平家追討の令旨を受け、木曽よりこの地(依田城)に来たつて信濃、関東の兵を集めて軍団を整え、北陸路より京都に攻め上がりました。
その折当山に戦祈願に参り、馬で登った道が現在「義仲馬大門」と呼ばれ、又手植の桜が「義仲桜」として往時を伝えております。
親鸞上人の留錫
後鳥羽上皇の念仏停止の宣下により法然上人は四国に親鸞上人は越後に流罪となりました。
四年後の建暦元年(1211年)放免となりましたが上人は京都には戻られず関東は常陸の国笠間に向かわれました。
その途路善光寺にしばらく滞在されたあと当山に立ち寄られましたがその折上人より萬病に効く薬の製法を伝授されたと伝えられ「萬応散」と云う名前で明治の始め頃まで当山で売られておりました。
すてき
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