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大宮諏訪神社ではいただけません
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大宮諏訪神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月30日(月)
参拝:2024年9月吉日
白馬方面ツーリングで小谷村の「蕎麦屋蛍」さんに行く予定を立てたので、小谷村の神社を調べたところ、諏訪大社と縁の深いこちらの古社があったので、参拝してきました。細い山道を上がった所に鎮座していました。静かに佇む古社は、とっても素敵でした。書き置きの御朱印があったので、拝受してきました。
参拝前に蕎麦屋「蛍」さんに行って昼食を取りました。古民家を改造して作られた小谷村の山間地にある秘境のお蕎麦屋さんです。小谷産の蕎麦粉を使い、美味しい水と空気と古民家の佇まいが最高に蕎麦を引き立てます。SNSで有名になり、県外からのお客さんがいっぱいおられました。
本殿県宝、県指定無形民俗文化財「奴踊」「狂拍子」「式年薙鎌打ち神事」
往古より、旧小谷七か村の総鎮守として小谷総社大宮諏訪大明神と称えられてきた。旧社地のスハマの地は、古代祭祀跡といわれ、ご祭神建御名方大神、信濃ご入国の際の神跡の霊地とも言われている。白鳳の頃仁科王社殿を建立と伝えられ、旧郡史では創立天平9年とされる。
室町時代地滑りのため現社地に移転した。中古頃別当神宮寺を創建し、現存している。
応永23年領主飯盛山城守盛照、社殿を改築し、元和5年金原周防守の手になる現在のご本殿が造立された。松本領主の崇敬篤く、祈願所として祈祷を依頼、農神の霊札を神納せられた。元禄12年信越国境論争起こり幕府の裁許を仰ぐこととなり、領主の面目に関する重大事のため、神前に起誓文、祈願文を捧げ起請した。諏訪大社と当社共催の信越国境における薙鎌打ち神事が証拠の一つとなり、勝訴を得た。文化4年拝殿を改築、拡大して現在に至る。 昭和7年12月20日郷社に列した。
諏訪大社との縁深く、古来、諏訪大社より大祝はるばる来社、七年に一度薙鎌打ち神事を信越国境にて執行している。また、大社の拝殿等の造営の際は、当地も度々頭役を務めてきた。(長野県神社庁より抜粋)
御祭神
建御名方大神
八坂刀売大神
参拝前に蕎麦屋「蛍」さんに行って昼食を取りました。古民家を改造して作られた小谷村の山間地にある秘境のお蕎麦屋さんです。小谷産の蕎麦粉を使い、美味しい水と空気と古民家の佇まいが最高に蕎麦を引き立てます。SNSで有名になり、県外からのお客さんがいっぱいおられました。
本殿県宝、県指定無形民俗文化財「奴踊」「狂拍子」「式年薙鎌打ち神事」
往古より、旧小谷七か村の総鎮守として小谷総社大宮諏訪大明神と称えられてきた。旧社地のスハマの地は、古代祭祀跡といわれ、ご祭神建御名方大神、信濃ご入国の際の神跡の霊地とも言われている。白鳳の頃仁科王社殿を建立と伝えられ、旧郡史では創立天平9年とされる。
室町時代地滑りのため現社地に移転した。中古頃別当神宮寺を創建し、現存している。
応永23年領主飯盛山城守盛照、社殿を改築し、元和5年金原周防守の手になる現在のご本殿が造立された。松本領主の崇敬篤く、祈願所として祈祷を依頼、農神の霊札を神納せられた。元禄12年信越国境論争起こり幕府の裁許を仰ぐこととなり、領主の面目に関する重大事のため、神前に起誓文、祈願文を捧げ起請した。諏訪大社と当社共催の信越国境における薙鎌打ち神事が証拠の一つとなり、勝訴を得た。文化4年拝殿を改築、拡大して現在に至る。 昭和7年12月20日郷社に列した。
諏訪大社との縁深く、古来、諏訪大社より大祝はるばる来社、七年に一度薙鎌打ち神事を信越国境にて執行している。また、大社の拝殿等の造営の際は、当地も度々頭役を務めてきた。(長野県神社庁より抜粋)
御祭神
建御名方大神
八坂刀売大神
手水舎
角1本折れてます。
神楽殿
拝殿
拝殿の神額
拝殿内
本殿
拝殿と本殿
社務所
御神木
境内社
境内から鳥居
境内から鳥居⛩️ 振り返り
胡桃味噌を自分でする、
野菜たっぷりの天ぷら
深里大盛り
竈で湯沸かし
竈で蕎麦茹で
凝ったフェイク
煙は蚊取り線香
煙は蚊取り線香
すてき
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てけてけ347投稿
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