かくおんじ
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覚音寺ではいただけません
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覚音寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年10月23日(日)
参拝:2022年10月吉日
今回、長野県の白馬村、大町市へ行く機会があり、その大町市に一度訪れてみたいと思っていた寺院がありましたので参拝してきました。
藤尾山 覚音寺です。
金峯山修験本宗で、本尊は千手観音。
この千手観音立像と脇侍の持国天立像、多聞天立像は重文です。
事前に拝観申込みは不要ですが、着いてみたら不在のため拝観出来ないのは困るので(家から約250kmあり、簡単に出直すという訳にはいかないので)、事前に連絡してから伺いました。
平安時代中頃に快尊上人により創建、「覚薗寺」と号し、天台か真言密教寺院で子院が12坊あったとの事です。江戸時代には曹洞宗に改宗、明治時代には廃寺となったが、1990年に再建され、奈良の吉野に在る金峯山寺の末寺になりました。
事前連絡した際に「道が細いので気を付けておいで下さい。」と言われました。向かう道のそれぞれの分岐点には案内看板が立てられていましたので道を間違える事はありませんが、舗装されてはいるものの落ち葉が凄くて、ただでさえ道幅が広くないのに余計に狭く感じました。そうこうしてたら寺院の駐車場に到着。最後の民家から2.5km離れていました。道路脇にも停めれるので10台位は停めれます。
電動機械の音がしていて、石段を上がると右側の場所でご住職が護摩焚き用の薪?を切っておられました。(田舎のご住職は何から何までお一人でやられますから。)連絡してあった者ですと挨拶してから護摩堂(本堂)で手を合わせました。早速、護摩堂のま裏にある観音堂(収蔵庫)へご案内頂きました。
観音堂には本尊の千手観音立像と脇侍の持国天立像、多聞天立像の3躯が祀られています。千手観音立像は、高さ約168cm、平安時代末期の作、とても優しいお顔です。腰から下は結構なホリューム感でした。脇手は右側が多く切断されていて痛々しいですが(左側を残しておけば後に右側を造れるという思いの元に)、これは廃仏毀釈の際に仏像を捨てた証拠に切断した手を役人に見せて納得させるために行ったとの事です。また、胎内には紙本摺仏千手観音像18枚、白銅製円形和鏡1面、墨書の木札が納められていて、そこには1179年に仁科盛家と妻と子が願主と記されていました。堂内は背中側も観れるように裏側に廻れて、ご住職がライトで背中を照らしてくれて、持国天立像の肩の裏側には直に建久5年(1194年)の銘が、多聞天立像の肩の裏側には建久6年(1195年)の銘が刻まれているのがわかりました。高さはそれぞれ約176cm、高さ約160cm。持国天立像より多聞天立像の方が明らかに細かく丁寧に彫られていた印象です。(持国天立像は飾り気が少なくシンプル。)
ご住職には木札に記されている事など色々とご説明頂きました。最後に拝観料(志納と書かれている)をお支払いし、御朱印をお願いしました。
寺院から南へ約7kmの所の大峰高原に在る「七色大カエデ」がいいとネットに載っていたので、どの道、南方面の安曇野ICから長野道に乗るため寄ってみました。凄い車でびっくり。観光バスも停まっており、出店もありました。大カエデと云っても大した事はないだろう?と思っていましたが、見たらめっちゃデカい!一見の価値有りです。(2km手前に「中カエデ」がある。)後世に遺すための保護の寄附金箱が置かれていましたので、少しだけですが寄附して帰路に着きました。
藤尾山 覚音寺です。
金峯山修験本宗で、本尊は千手観音。
この千手観音立像と脇侍の持国天立像、多聞天立像は重文です。
事前に拝観申込みは不要ですが、着いてみたら不在のため拝観出来ないのは困るので(家から約250kmあり、簡単に出直すという訳にはいかないので)、事前に連絡してから伺いました。
平安時代中頃に快尊上人により創建、「覚薗寺」と号し、天台か真言密教寺院で子院が12坊あったとの事です。江戸時代には曹洞宗に改宗、明治時代には廃寺となったが、1990年に再建され、奈良の吉野に在る金峯山寺の末寺になりました。
事前連絡した際に「道が細いので気を付けておいで下さい。」と言われました。向かう道のそれぞれの分岐点には案内看板が立てられていましたので道を間違える事はありませんが、舗装されてはいるものの落ち葉が凄くて、ただでさえ道幅が広くないのに余計に狭く感じました。そうこうしてたら寺院の駐車場に到着。最後の民家から2.5km離れていました。道路脇にも停めれるので10台位は停めれます。
電動機械の音がしていて、石段を上がると右側の場所でご住職が護摩焚き用の薪?を切っておられました。(田舎のご住職は何から何までお一人でやられますから。)連絡してあった者ですと挨拶してから護摩堂(本堂)で手を合わせました。早速、護摩堂のま裏にある観音堂(収蔵庫)へご案内頂きました。
観音堂には本尊の千手観音立像と脇侍の持国天立像、多聞天立像の3躯が祀られています。千手観音立像は、高さ約168cm、平安時代末期の作、とても優しいお顔です。腰から下は結構なホリューム感でした。脇手は右側が多く切断されていて痛々しいですが(左側を残しておけば後に右側を造れるという思いの元に)、これは廃仏毀釈の際に仏像を捨てた証拠に切断した手を役人に見せて納得させるために行ったとの事です。また、胎内には紙本摺仏千手観音像18枚、白銅製円形和鏡1面、墨書の木札が納められていて、そこには1179年に仁科盛家と妻と子が願主と記されていました。堂内は背中側も観れるように裏側に廻れて、ご住職がライトで背中を照らしてくれて、持国天立像の肩の裏側には直に建久5年(1194年)の銘が、多聞天立像の肩の裏側には建久6年(1195年)の銘が刻まれているのがわかりました。高さはそれぞれ約176cm、高さ約160cm。持国天立像より多聞天立像の方が明らかに細かく丁寧に彫られていた印象です。(持国天立像は飾り気が少なくシンプル。)
ご住職には木札に記されている事など色々とご説明頂きました。最後に拝観料(志納と書かれている)をお支払いし、御朱印をお願いしました。
寺院から南へ約7kmの所の大峰高原に在る「七色大カエデ」がいいとネットに載っていたので、どの道、南方面の安曇野ICから長野道に乗るため寄ってみました。凄い車でびっくり。観光バスも停まっており、出店もありました。大カエデと云っても大した事はないだろう?と思っていましたが、見たらめっちゃデカい!一見の価値有りです。(2km手前に「中カエデ」がある。)後世に遺すための保護の寄附金箱が置かれていましたので、少しだけですが寄附して帰路に着きました。
すてき
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nomuten808投稿
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