ほうこうじ|浄土宗|崑崙山
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峯高寺の編集履歴
2024年08月09日 10時44分
ふりがな
ほうこうじ
ご由緒
長野教区№二一九。開山は、照蓮社寂誉。当寺は、元は慶林寺と号した。慶長一二年(一六〇七)、飯田城主小笠原秀政の内室福姫(峯高院)が死去し、城外に墓地を造り埋葬する。後、小笠原家の菩提寺として慶林寺を峯高院の墓地に移し、峯高院の法名より寺号を峯高寺と改め建立したことを開基とする。現在も三ツ葉葵の刻まれた福姫の墓が境内に祀られ、位牌は小笠原氏の国替に従い福岡県京都みやこ郡みやこ町の峯高寺に祀られている。また、当寺は触頭ふれがしら職として、知恩院・増上寺の両方の触頭に任命されていた。
見所
ここ峯高寺には信康(家康長男)と五徳(信長長女)の間に生まれた「福姫」または「登久姫」様のお墓が大切に守られています。
福姫は小笠原秀政と結婚し、秀政との間に六男二女をもうけた。
慶長12年(1607年)10月、 信濃飯田城にて32歳で疱瘡(天然痘)により死去し埋葬される。
参拝時間
御朱印は事前連絡しておくと確実
駐車場
駐車場有り。隣接にコインパーキングも有り
御朱印
あり
山号
崑崙山
創始者/開山・開基
照蓮社寂誉
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