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楽しみ方編集詳細
2025年05月12日(月) 17時57分 by神祇伯
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35.7689044
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35.76985643732467
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137.9443071
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137.95087716102142
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上伊那郡宮田村カ西林7675
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上伊那郡宮田村中越区7675
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『大塔軍記』〔応永7年(1400)善光寺平南部で、信濃守護職に任命された小笠原長秀と、有力国人領主たちとの間で起きた「大塔合戦」の記録〕に記された守護方の武士の中に、宮田村の在地豪族だった中越氏の名がみえる。 その中越氏と深い関わりがあったと考えられていることから、この諏訪神社の歴史も、中世までさかのぼる可能性が高い。 本殿の棟札ムナフダには、「明和メイワ3年(1766)7月11日、奉勧請南方富美命カンジョウシタテマツルミナミカタトミノミコト(「諏訪大明神」のこと)事代主命コトシロヌシノミコト」とあり、当村で最も古い。 天照大神アマテラスオオミカミを合祀ゴウシしているので昔は「伊勢諏訪社」といったが、明治42年(1909)以後の公文書では「諏訪神社」と改めている。
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『大塔軍記』〔応永7年(1400)善光寺平南部で、信濃守護職に任命された小笠原長秀と、有力国人領主たちとの間で起きた「大塔合戦」の記録〕に記された守護方の武士の中に、宮田村の在地豪族だった中越氏の名がみえる。 その中越氏と深い関わりがあったと考えられていることから、この諏訪神社の歴史も、中世までさかのぼる可能性が高い。 本殿の棟札ムナフダには、「明和メイワ3年(1766)7月11日、奉勧請南方富美命カンジョウシタテマツルミナミカタトミノミコト(「諏訪大明神」のこと)事代主命コトシロヌシノミコト」とあり、当村で最も古い。 天照大神アマテラスオオミカミを合祀ゴウシしているので昔は「伊勢諏訪社」といったが、明治42年(1909)以後の公文書では「諏訪神社」と改めている。
