じょうせんじ|曹洞宗|天陽山
盛泉寺のお参りの記録一覧
信濃三十三観音札所巡りで昨年お参りした以来2度目のお参りになります。今回は信州筑摩三十三ヶ所観音霊場第三十番札所としてお参りさせて頂きました。
参道脇に石仏がずらりと並んでいます。本堂横を上がった所に水沢観音堂(明治元年の廃仏毀釈により取り壊された上波田水沢にあった若沢寺のものを移転されたものです。)が鎮座しています。
信濃廿五番霊場
(信濃三十三観音札所)
参道と山門
庭越しの鐘楼
鐘楼
駐車場から境内
参道脇の仏像
参道脇の仏像
本堂
本堂
寺務所
不動明王堂
不動明王
石仏
石仏
石仏
不動明王堂
不動明王堂内
庭に石仏
水沢観音堂への参道
水沢観音堂
寺額
水沢観音堂内
龍🐉の彫刻
龍の下からズーム 睨まれている迫力
絵馬
絵馬
もみじ越しの本堂横側
もみじ越しの水沢観音堂
本堂前境内から振り返り
松本市波田に位置し、神仏分離令によって廃寺になった若澤寺の救世殿(現観音堂)と千手観音を盛泉寺に移し、現在信濃三十三観世音ニ十五番として祀られています。千手観音は坂上田村麿将軍の守本尊となり、有明山の鬼賊八面大王を退治しその途中若澤寺に安置したものです。
盛泉寺は、ご本尊に釈迦牟尼仏を戴く曹洞宗の禅寺です。
天文二十一年(一五五二年)神林領主 常和泉守公の菩提寺として開基され、松本・瑞松寺の第二世 柏鷹正庭大和尚により開山されました。創建当初は「常泉寺」と号しておりましたが「寺が盛んになるように」との想いから、寛文十年(一六七〇年)「盛泉寺」と改められました。四方を日本アルプス、美ヶ原に連なる山々に囲まれ、眼下には松本平を一望する美しき環境の下、開山以来 四百五十年の時を越え法灯の明かりは人々によって護り継がれて参りました。
明治時代に当寺の住職を務めた第十六世・古田梵仙和尚は、現在の駒澤大学の前身である曹洞宗専門学本校の学監(教授)として僧侶の指導に尽力しました。日本名僧伝にもその名が記されており、梵仙和尚が執筆した当時の教科書などが今も当寺に保管されています。明るく豪快な人物であったことから交友関係も広かったそうです。境内の水澤観音堂にはその痕跡を今に伝えるものが残ります。それはお堂の正面に掲げられた額で、「大悲閣」という書は「幕末の三舟」の一人で政治家、思想家であり、剣・禅・書の達人としても知られる山岡鉄舟師の筆によるものです。師と梵仙和尚との親交はたいへん深く鉄舟師は度々、波田を訪れていたと伝えられています。
拝殿
観音堂正面の額には山岡鉄舟書の「大悲閣」が飾られている。
鐘楼 春にはしだれ桜が見事
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