とがくしじんじゃくずりゅうしゃ
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戸隠神社九頭龍社ではいただけません
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戸隠神社九頭龍社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年07月25日(月)
参拝:2022年6月吉日
【信濃國 古社巡り】
戸隠神社・九頭龍社は、長野県長野市戸隠にある、戸隠神社(※詳細は下記)を構成する5社のうちの1社。祭神は九頭龍大神。
鎮座年代は古く、祭神の九頭龍神は地主神で、天岩戸が化成したと謂われる戸隠山の守護神にして、神代の岩戸隠れの変に功績を立てた本社御祭神の天手力男命を当山に迎えたといわれる。創建は奥社よりも古いとされるが不詳。戸隠山の戸隠三十三窟の1つ「龍窟」にあたる。
当社は、奥社のすぐ近くの少し低い場所にあって、戸隠道(県道36号線)上の入口(中社から1km)から2kmの杉並木の参道を進んだところにある。手水舎、狛犬などは奥社と共用みたい。
今回は、旧国幣小社である戸隠神社5社のうちの1社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前で、天気が良いこともあり、ハイキングに来ている人を含め。かなり多くの人々が参拝に訪れていた。
※御朱印は、奥社・九頭龍社共通の授与所で拝受できる。
(※)戸隠神社(とがくし~)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺の、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の5社からなる神社。旧社格は国幣小社。祭神は、奥社が天手力雄命(あめのたちからお)、中社が天八意思兼命(あめのやごころおもいかね)、宝光社が天表春命(あめのうわはる;中社祭神の御子神)、九頭龍社が地主神の九頭龍大神、 火之御子社が天鈿女命(あめのうずめ)。別称は「戸隠権現」、「戸隠三社」。
説によると、奥宮の創建は孝元天皇5年(紀元前210年)と言われ、九頭龍社はそれよりも古いとしている。戸隠山は、天照大神が籠っていた「天の岩戸」を天手力雄命が投げ飛ばした際の破片が飛んできて山となったと言われ、地主神である九頭龍大神が天手力男命を迎え入れたのが始まりとされる。『日本書紀』に記されている「水内の神」が戸隠神社であるとする説もある。平安時代の849年に僧・学問が奥社の地で初めて修験を始めたとされ、その後、天台密教、真言密教、神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として発展し、修験道場・戸隠十三谷三千坊として比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺とともに「三千坊三山」の1つとして全国に知られるようになった。鎌倉時代には当山(延暦寺山門派)の別当であった栗田氏が山麓の善光寺(園城寺山門派)の別当をも世襲したため、両寺は関連を深めた。戦国時代に当北信濃地域は、甲斐國・武田信玄と越後國・上杉謙信との争乱に巻き込まれ、栗田氏は分裂させられ、苦境の時期を過ごした。江戸時代に入ると、徳川家康から朱印地1000石を与えられ「戸隠山領」が成立し、同時に東叡山寛永寺の末寺となった。次第に農業神、水の神の性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。明治時代になると、神仏分離令や修験宗廃止令により廃仏毀釈運動が起き、戸隠山顕光寺は寺院を分離して神社となり、宗僧は還俗して神官となった。
九頭龍社と奥社は参道が共通。(写真は奥社投稿とかぶります...(^_^;))
写真は境内入口の<鳥居>。ここから片道2km参道を歩く。
写真は境内入口の<鳥居>。ここから片道2km参道を歩く。
参道途中にある<隋神門>。
隋神門の先の杉並木。江戸時代初期の植樹なので樹齢はすべて400年ほど。
平坦だった参道は、途中から緩やかな登りに変わる。
参道の突き当りの<手水舎>。
手水舎の前で左方向に90度曲がって階段を登る。
こちらが九頭龍社<社殿>。
奥社は長い参拝行列ができていたが、こちらの行列は数人程度。
横から見える<九頭龍大神>の扁額。戸隠で最古の社。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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