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都萬神社ではいただけません
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都萬神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年02月22日(水)
参拝:2023年1月吉日
【日向國 式内社巡り】
都萬神社(つま~)は、宮崎県西都市大字妻にある神社。式内社で、日向国総社論社、日向國二之宮論社。旧社格は県社。祭神は木花開耶姫命。
創建は不詳。当社周辺には全国屈指の大古墳群である西都原古墳群があるほか、屯倉設置の推定値、日向国府跡などがあり、日向國の中心地であったと考えられている。また、近くには木花開耶姫命と瓊瓊杵尊が新婚生活を送ったという伝承地もある。国史の初見は『続日本後紀』の837年条に官社となった旨の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 児湯郡 都萬神社 小」に比定されている。このころ「五社明神」という別称があり、近くに日向国府があったことから、日向国の総社の機能があったとする説があり、また都農神社に次ぐ二之宮として崇敬されたという説がある。室町時代以降は、当地領主の伊東氏から篤く庇護された。以後江戸時代にかけては、日向國の式内社4社の中では実質的に最も有力な神社であったとされる。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR日豊本線・日向新富駅の北西11kmの市街地、住宅街の中の平地にある。南北に200m以上、東西に100mほどの境内は公園のような雰囲気で広々としている。境内東側を流れる川を渡って境内に入ると古巨木が立ち並び、短めの参道を進むと一段高い場所にある神域に入る。大きな社殿の周りには境内社などが集まっている造り。社務所などは綺麗で新しいが、日本清酒発祥の地であったり、千年楠の洞洞木があったりと、古社らしさを十分に満喫できる。
今回は、日向國の式内社、日向国総社論社、日向國二之宮論社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分たち以外にも一般参拝者がいたほか、大人の引率でやってきた子供の団体が参拝していた。
境内東方の住宅街の中にある、巨大な<一の鳥居>。
境内入口全景。実際の川に架かる<神橋>を渡って境内に入る。
神橋を渡ったところからの眺め。正面の一段高いところに社殿がある。
参道右手にある、小さめの真っ赤な鳥居。扁額や表札はなし。
鳥居の後ろには立派な巨木が2本。巨木が御神体なのかな?(。´・ω・)?
鳥居の後ろには立派な巨木が2本。巨木が御神体なのかな?(。´・ω・)?
巨木の裏側に廻ると、小さく真っ赤な社殿が。<狛狐>がいるので稲荷神社ですね。(^_^;)
参道の左手(南側)、少し離れたところにある<土俵>。参道と土俵の間のエリアは駐車場。
いよいよ階段を登って神域に入る。
階段を登り切ったところにある<二の鳥居>。
二の鳥居の左側にある<狛犬>。まん丸おめめと、反り立った尻尾が独特。
二の鳥居の右側にある<狛犬>。こちらの方が損傷が少なく原型が分かりやすい。
参道右手、狛犬の後ろにある<手水舎>。
<拝殿>全景。翼殿付き。サイズ、色合いともに重厚感がある。
<拝殿>正面。入口右側には「日本一の大太刀」と書かれた表札が掛かる。
拝殿後ろの<本殿>。落ち着いた暗い色合いの拝殿に対して、本殿はかなり色鮮やか。
拝殿に向かって左後方にある<授与所>。御朱印はこちら。
拝殿に向かって右後ろにある<日本清酒発祥の地>の碑と<千年楠の洞洞木>。
拝殿に向かって右手少し離れたところにある境内社の鳥居。
背後には<霧島神社>(左)と<四所神社>(右)がある。
背後には<霧島神社>(左)と<四所神社>(右)がある。
上の境内社の左側にある<大山祇神社>。
斜めから<社殿>全景。
社殿の南方50mほどの、池のほとりに建つ<祇園神社>。
最後に社殿を見てから帰ろうとすると、小学校低学年と思しき集団が参拝にやって来た。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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