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巨田神社ではいただけません
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巨田神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年07月12日(水)
参拝:2023年7月吉日
巨田神社現地案内板より
巨田神社は、寛治7年(1093年)宇佐神領時代(宇佐八幡宮の荘園である田島荘)に郷土の鎮守の神として天太玉命(あめのふとだまのみこと)・誉田別命ほんだわけのみこと・應神天皇) 大帯姫命(おおたらしひめのみこと・神功皇后)を奉斎創立し、武運・産業・安産・病気平癒・開運等を祈願し崇敬されてきました。
本殿は、文安5年(1448年)に再建されたことが棟札によって判明。
この間、いくたびか修理が施され、元禄8年(1695年)には、外観意匠を一変する大修理が行なわれています。
本殿の構造は、三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)で板葺き、木部には朱が塗られ、南九州には数少ない中世神社建築の遺構で、修理時期を明示する棟札が二十二枚も保存されています。
(*この棟札は宮崎市佐土原歴史資料館に保管されており、その一部は展示してあります。)
現在の本殿は、天文19年(1550年)の建立といわれ、歴史的文化的にも貴重な建造物として認められ、国の重要文化財に指定されました。
しかし、縁廻りに歪や苔害等全般に破損を生じてきたので、国・県・町の補助を得て、昭和56年(1981年)根本的解体修理を行い、元禄8年(1695年)の本殿に復元されました。
摂社は、本殿を中心に左に若宮社、右に今宮社が建立されていますが、破損が著しく本殿とともに大修理を施しました。
(貞享3年(1686年)に摂社今宮社、享保12年(1727年)に摂社若宮社が建立。)
摂社は一間流見世棚造り(いっけんしゃながれみせだなづくり)で、その価値が認められ、県の有形文化財に指定。
これらの文化財保全の為に、国・県・町の補助を得て防災設備を施し、永年保存への完璧を期した。
氏子一同におかれては、全員協力し浄財を拠出され、さらに社有林の間伐・除伐、幣殿・参道の整備、外柵の新設等環境の整備に尽力され、二か年にわたる計画・工事の全てを昭和57年11月28日に完了した。
巨田神社は、寛治7年(1093年)宇佐神領時代(宇佐八幡宮の荘園である田島荘)に郷土の鎮守の神として天太玉命(あめのふとだまのみこと)・誉田別命ほんだわけのみこと・應神天皇) 大帯姫命(おおたらしひめのみこと・神功皇后)を奉斎創立し、武運・産業・安産・病気平癒・開運等を祈願し崇敬されてきました。
本殿は、文安5年(1448年)に再建されたことが棟札によって判明。
この間、いくたびか修理が施され、元禄8年(1695年)には、外観意匠を一変する大修理が行なわれています。
本殿の構造は、三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)で板葺き、木部には朱が塗られ、南九州には数少ない中世神社建築の遺構で、修理時期を明示する棟札が二十二枚も保存されています。
(*この棟札は宮崎市佐土原歴史資料館に保管されており、その一部は展示してあります。)
現在の本殿は、天文19年(1550年)の建立といわれ、歴史的文化的にも貴重な建造物として認められ、国の重要文化財に指定されました。
しかし、縁廻りに歪や苔害等全般に破損を生じてきたので、国・県・町の補助を得て、昭和56年(1981年)根本的解体修理を行い、元禄8年(1695年)の本殿に復元されました。
摂社は、本殿を中心に左に若宮社、右に今宮社が建立されていますが、破損が著しく本殿とともに大修理を施しました。
(貞享3年(1686年)に摂社今宮社、享保12年(1727年)に摂社若宮社が建立。)
摂社は一間流見世棚造り(いっけんしゃながれみせだなづくり)で、その価値が認められ、県の有形文化財に指定。
これらの文化財保全の為に、国・県・町の補助を得て防災設備を施し、永年保存への完璧を期した。
氏子一同におかれては、全員協力し浄財を拠出され、さらに社有林の間伐・除伐、幣殿・参道の整備、外柵の新設等環境の整備に尽力され、二か年にわたる計画・工事の全てを昭和57年11月28日に完了した。
すてき
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