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2025年01月18日(土) 14時59分 by神社猫
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884-0002
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小丸川河口近くの右岸と宮田川下流の右岸とに挟まれた、沖積地北高鍋の中津留に鎮座する。当社の由緒は、孝謙天皇の御宇、百済に福智王という人あり、乱のためにその父貞嘉王と日本に奔った。始め安芸の厳島に至り、のち児湯郡蚊口浦に来たり、海水に霑した衣冠束帯等を石の上に置いて乾かした。そこでここを毛比呂計(裳拡け)といい、神社を創建したのが始まりと伝える。また、付近に石船という地名があり、彼等一行の船が没したのでこの名がついたと伝える。 棟札によれば、永享十二辛酉(1440)三月、田部金綱により再興され、その後、永禄十年正月再興、寬永元年十二月種孝公により再興、慶安二年十一月種春公により再興、貞享二年十月再興、寬永七年三月種政公により再興、享保十一年九月種弘公により再興、文化十一年種任公により再興されるなど、歴代領主からも篤く尊崇された社であった。明治四年村社に列格し、同四十年二月神饌幣帛料供進社に指定された。 社名は、『高鍋寺社帳』には裳廣解大明神とあり、『比木寺社帳』には級纊大明神と記されていたが、現在は毛比呂計神社と書いている。
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不詳
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福智王
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本殿(神明造) 拝殿(入母屋造)
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7月7日 例祭 12月7日 例祭
