さのじんじゃ
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狭野神社ではいただけません
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狭野神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月08日(水)
参拝:2023年1月吉日
【日向國 古社巡り】
狭野神社(さの~)は、宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田にある神社。旧社格は県社、のち官幣大社・宮崎神宮の別宮。現在は再独立し、神社本庁の別表神社。主祭神は神日本磐余彦天皇(神武天皇)、配祀神は吾平津媛命、天津彦火瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命。社名は神武天皇の幼名「狭野尊」に因む。旧称は「東霧島権現」で、霧島六所権現の1社(4/6)。
社伝によると、第5代・孝昭天皇の御代(紀元前475年~紀元前393年)、神武天皇ご降誕の地に創建されたと伝わる。霧島連峰の麓に位置するため幾多の火山噴火の災禍に見舞われ、奈良時代の788年、鎌倉時代の1234年に社殿を焼失し、仮殿を設け遷座している。江戸時代初期の1610年に元の狭野の地に新社殿を造営し遷御している。なお、戦国時代以降、島津氏から篤い尊崇を受け、文禄年間の豊臣秀吉公朝鮮の役では島津義弘公出陣に際し戦勝祈願がなされ、凱旋後1600年に祈願奉賽として境内全般に杉を植栽した(現在は国の天然記念物)。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、大正に入り宮崎神宮の別宮に指定された(戦後再独立)。
当社は、JRえびの高原線・高原駅の南西3kmあまりの霧島山の山裾、高千穂峰の東北東5kmの比較的平らな場所にある。境内は古高木が立ち並ぶ森で、そこにまっすぐで長い参道と、ぽっかりと空が開けた社殿周りと大きな社殿が存在する。島津家に手厚く保護されてきた、豪壮で美しい境内の造りに行き届いた手入れは神聖な空気感を生み出し、さすが別表神社と思わせてくれる。
今回は、宮崎県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元の人にとってもレジャーの定番なのか、地元風の家族連れを中心に割と多くの参拝客が訪れていた。
境内東端入口全景。深い森に真っ赤な鳥居が映える。
境内入口の<鳥居>と<社号標>。社号標には社号の前に「縣社」ではなく「別表」と書かれている。
鳥居をくぐって、深い森に入って行く。
神聖な空気感の中、参道を進むと、真っ赤な<神橋>が小川の上に架かっている。
参道左側の<手水舎>。
参道右側の<修祓殿>。
さらに進んで<神門>をくぐる。
神門をくぐって前に進むと、右手に社殿が見えてくる。
瑞垣で囲われているエリアに入って行く。
神域入口左側の<狛犬>。大社でよく見かけるブロンズ製かな。
神域入口右側の<狛犬>。
<外拝殿>全景。当社の社殿は<外拝殿ー拝殿ー本殿>という構成になっている。
外拝殿内部から<拝殿>を望む。
<拝殿>全景。
社殿の右側を見て廻る。
社殿の右側奥、拝殿右側に繋がっている<祈祷受付所>。
社殿の右側にある<授与所>。御朱印はこちら。かなり豊富な種類の書置きの御朱印が置いてある。
授与所近くにある境内社<東門守社>。宮崎県によくある門の守護神かと思い、外拝殿の反対側を見て見ると、、、
案の定、外拝殿の左手に反対側の門の守護神<西門守社>を発見。(o^―^o)
外拝殿に向かって左手にある<水神社>。
水神社近くから見た<社殿>全景。拝殿には両側に翼殿がある。
拝殿後ろの<本殿>。三間社流造で、1907年に霧島神宮の旧本殿を移築したもの。
神域入口にある<御神木>。
最後に、実際に最初に到着したのは西参道入口のこちらの鳥居。正参道をまっすぐ進むとこちらに辿り着く。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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