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楽しみ方編集詳細
2025年01月10日(金) 09時54分 by神社猫
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しながじんじゃ
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885-1103
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当社の勧請は第113代東山天皇の御代元禄六年(1693)正月十日と神社明細帳に記されているが、北郷領内神社由緒調・神社改帳には科長神社の名なく、志和地宗廟志和地天満宮はみえ、この天神は第105代後奈良天皇の御代大永八年(1528)四月二十九日馬関田(現えびの市真幸)の天神を北原氏が志和地宗廟鎮守として移し勧請したものである。察するにこの志和地天満宮に科長の大神も合祀されていたのを、明治初年三島通庸が庄内計画の時、志和地天満宮を庄内に遷し、志和地の人々は志和地天満宮に、科長の大神を旧殿舎に科長神社として祀ったものではないか。あるいは天満宮辺りに科長神社が祀られていたかは不明である。 明治17年志和地と島津家に災厄相次いで起こった。それは志和地天神を神意に背き庄内に遷したためであると祈祷師がいうので、同年志和地水流小学校に庄内より遷し祀り、さらに明治25年現科長神社に合祀したと言われる。 末社荒人神社は旧志和地城主白坂下総守兼次の霊を祀る。天文十二年(1543)八月二十日小山川合戦にて戦死した兼次の亡霊怪気があり、人々これを畏れ当社を旧新山寺内に勧請し、荒人神社として祭祀を行ってきたが、社殿破損したので、科長神社の末社として境内に遷し祀り今日に至っている。 現科長神社太鼓は、延宝四年(1676)丙辰四月八日と内側に墨書きされている。なお当社市無形民俗文化財からくり花火(仕掛花火)は、江戸末期の頃より夏の夜を賑わして有名である。
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(0986)36-1951
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《合》豊受姫神,猿田彦神,《主》科津彦神,科津姫神,天水分神,国水分神,菅原道真
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《主祭神》 5柱 科津彦神(しなつひこのかみ) 科津姫神(しなつひめのかみ) 天水分神(あめのみくまりのかみ) 国水分神(くにのみくまりのかみ) 菅原道真公(すがわらみちざねこう) 《合祀神》 2柱 豊受姫神(とようけひめのかみ) 猿田彦神(さるたひこのかみ)
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https://www.m-shinsei.jp/m_shrine/%e7%a7%91%e9%95%b7%e7%a5%9e%e7%a4%be%ef%bc%88%e3%81%97%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%81%98%e3%82%93%e3%81%98%e3%82%83%ef%bc%89/
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・都城ICより車で約10分 ・JR都城駅より車で約15分
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あり
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元禄六年(1693)正月十日
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本殿(流造) 拝殿(入母屋造)
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7月29日 例大祭
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からくり花火(市指定無形民俗文化財)
