かみばしらぐう
神柱宮のお参りの記録一覧
【日向國 古社巡り】
神柱宮(かんばしらぐう/かみばしらぐう)は、宮崎県都城市前田町にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は天照皇大神、豊受姫大神、相殿神は天津産火瓊瓊杵命、天手力男命、天津児屋根命、万旗秋津姫命、天太玉命。別称は「神柱神社(かんばしら~)」。通称は「お神柱(おかんばしら)」。
創建は平安時代後期の1026年、島津荘開拓のために太宰府から移住した平季基が天照皇大神の神託を受け、伊勢神宮より勧請したことに始まる。季基が家門を建てようと梅北村大吉山から門柱を切り出し、片柱を500人で牽いても動かず、さらに500人増やして柱を牽こうとしたところ、それを見ていた季基の6歳の娘がにわかに神がかって神託を得たのが社名の由来。以降、島津荘総鎮守として崇敬されてきた。島津荘は鎌倉時代、薩摩、大隅、日向にまたがる日本最大の荘園と称された。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列し、現在地に遷座した。
当社は、JR日南線・都城駅の南方500mの、大きな公園・神柱公園内の北部にある。境内南側には当社に突き当たる相当長い元参道(現公道、数kmか?)があり、過去からの力の強さを感じられる。ちなみに元参道上に立つ一の鳥居は高さが25mあって、全国で第7位と言われている。小高いところにある社殿は大きく立派で旧県社、別表神社として納得。見て廻るエリアは意外とコンパクト。
今回は、宮崎県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、かなり多くの人々が参拝に訪れていた。
境内南方200mの公道上に立つ<大鳥居>。高さは25.0mあり、全国で第6位とされる。
境内南端入口全景。社殿は小高い場所にある。
階段を登る途中にある<二の鳥居>。手前に「茅の輪」が設置されている。
階段途中左側の境内社。右側の境内社とセット。
階段途中右側の境内社。
階段を登り切った左側にある<手水舎>。
手水舎前から社殿方向を望む。1月7日ということで、まだまだ初詣客が大勢いる。
拝殿前左側の<狛犬>。線の太い現代的なもの。
拝殿前右側の<狛犬>。目や口に彩色があるタイプ。
<拝殿>全景。左右非対称の翼殿を有する、なかなか大きなもの。
<拝殿>正面。上部には「神柱宮」の扁額。
拝殿後ろの<本殿>。樹木の葉で見えにくい...(^_^;)
拝殿に向かって左手(境内西側)にある<臨時授与所>と<社務所>。御朱印はこちら。
拝殿の右隣にある<基柱神社>。祭神として、平季基命と菅原道真命を祀る。
拝殿に向かって右手(境内東側)にある、もう一つの<臨時授与所>。
手水舎の後ろにある、<昭和天皇御手植公孫樹>。
昭和天皇が皇太子時代の大正九年(1920年)に御手植えになったとのこと。
東側の臨時授与所の裏手にある戦争遺物。
東側の臨時授与所の裏手にある大型石碑類。
最後に、基柱神社前から見た<拝殿>全景。たくさんの地元の人々で賑わっていたのが印象的~♪ (^▽^)/
過去(2016年<平成28年>)参拝分の投稿です。
場所はいきなり九州へ飛びます。
それも南のほうで宮崎県です。
ふるさと納税の収入が日本一とされる都城市にある神柱宮へ参拝しに行きました。
遠くからでも目立つ大きな鳥居が印象的です。
この時、参拝者はほとんどいませんでした。
真夏の暑い時でしたが、気持ちよくお参りを済ませることができました。
御朱印帳を購入して、御朱印の書入れもして頂きました。
この時、神社内で一番偉い立場と思われる年長の方に書いて頂いていますが、ものすごく丁寧で達筆にお書き下さり、書き上がった御朱印を見て感動しました。
御朱印帳の色は実際のところ茶色です。
画像は明るくスキャンされたようで、実物とはかけ離れた色で表現されました。
神社名標
階段下方から本殿方面を望む
本殿の光景
本坪鈴と扁額
御朱印
御朱印帳(ほかに紺色のものもありました)
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