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2025年09月26日(金) 23時45分 by神祇伯
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当神柱宮の創建は、人皇第68代後一条天皇の御代、萬壽年間(西暦1024~1028年)に太宰府より大監(たいげん)という職にあった平季基(たいらのすえもと)が来都し、無主の荒野であった日向国諸県郡島津一帯を開墾して、宇治関白藤原頼通に寄進されました。 後の鎌倉時代、薩摩・大隅・日向にまたがる日本最大の荘園と称された「島津荘」の成立に起因します。 季基は領主として島津荘を治めるに当たり、梅北に屋敷を構え、萬壽3年丙寅(皇紀1686年、西暦1026年)正月20日に家門を建てようとして、梅北村大吉山より門柱を切り出し、片柱を500人で牽いても動かず、さらに500人増やして柱を牽こうとした時、その光景を見ていた季基の6歳になる娘がにわかに神がかり、「我は伊勢の外宮なり、此の地において万民を護ろうと思う。 速やかに社を建てて、その社の名を『神柱』と称すべし云々」という御神託により、季基は伊勢の神宮へ赴き皇大神様の御分霊を奉戴して、同年9月9日、諸県郡中郷村大字梅北字益貫に創建奉祀されたのが「島津御荘總鎮守神柱宮」の始まりです。 当時から島津荘の領主・荘官は固より、荘内の人々に篤い崇敬を寄せられて来ました。これが創始と社名の由来です。 [公式HP由緒書きより]
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《主》天照皇大神,豊受姫大神,《配》天津彦瓊瓊杵命,天手力雄命,天津児屋根命,万旗豊秋津姫命,天太玉命
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《主祭神》 天照皇大神 豊受姫大神 《配祀神》 天津彦瓊瓊杵命 天手力雄命 天津児屋根命 万旗豊秋津姫命 天太玉命
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万寿三年(1026年)9月9日
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平季基
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流造
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県社、別表神社
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10月29日 例祭
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不詳
