うどじんぐう
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
鵜戸神宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月02日(木)
参拝:2023年1月吉日
【日向國 古社巡り】
鵜戸神宮(うど・じんぐう)は、宮崎県日南市大字宮浦にある神社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず)、相殿神は、大日孁貴(おおひるめのむち:天照大御神)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみ)、彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎ)、彦火々出見尊(ひこほほでみ)神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこ:神武天皇)。
創建は不詳。社伝によると、本殿の鎮座する岩窟は豊玉姫が主祭神を生むための産屋を建てた場所で、その縁により崇神天皇の御代に「六所権現」と称し創祀され、推古天皇の御代に岩窟内に社殿を建て「鵜戸神社」と称したと伝える。奈良時代の782年に天台僧・光喜坊快久が桓武天皇の勅命を蒙って別当となり神殿を再建し、別当寺院を建立して「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」の勅号を賜ったと伝える。平安時代以降は修験道の一代道場として「西の高野」とも呼ばれ両部神道の霊地として栄えた。
戦国時代以降、領主・伊東氏の崇敬を受け、1560年には伊東義祐による社殿の再建以降、江戸時代を通じて飫肥藩主・伊東氏による社殿の造替、修復が行われた。明治に入り、神仏判然令により仁王護国寺を廃し「鵜戸神社」と称したが、神宮号が宣下されたため「鵜戸神宮」と改称し、官幣小社に列格、その後官幣大社に昇格した。
当社は、JR日南線・伊比井駅の南方8kmの海沿いの断崖上にある。少し内陸を走る国道220号線から逸れて、小さな漁師町を通過し、海沿いの坂道を進むと境内入口に到着する。入口の駐車場は数十台分しかないが、少し内陸側の高い場所に観光バスなども停車できる大きな駐車場がある。境内入口の一の鳥居から海際を進むと、数百m北上したところにある岩窟内に社殿がある。切り立った断崖上の岩窟内に社殿があることだけでオリジナリティは満点。現代は道路や施設が整備され簡単に辿り着けるが、昔は相当大変だったであろうことが容易に想像でき、修験道の霊場と言われても納得できる。
今回は、旧官幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、団体・個人、老若男女関わらず多くの参拝者が訪れていた。
境内から1kmあまり離れたところにある<一の鳥居>。
海岸沿いの断崖上の道を進むと、境内南端入口に辿り着く。入口付近は駐車場。
境内南端の<二の鳥居>。
鳥居をくぐって参道をまっすぐ進むと<授与所>に突き当たる。御朱印はこちら。
社伝に向かうには、右方向に進んで行く。
社伝に向かうには、右方向に進んで行く。
海岸沿いの参道を進んで<神門>。
神門をくぐってさらに進むと<随神門>。
隋神門をくぐると、参道右側にある<手水舎>。
<手水盤>はとっても綺麗~♪ (o^―^o)
やがて参道は二股に分かれ、左側を進む。
北原白秋の句が書かれた看板が立つ拝所。
橋の下を見下ろしたところ。下の岩窟内に社殿がある。
階段を徐々に降りて行く。
岩窟の入口に立つ<三の鳥居>。
鳥居をくぐって左手にある<拝殿>。
<拝殿>正面。
拝殿内では祈祷を行っている。
拝殿左側から社殿周りを見て廻る。まずは境内社の<皇子神社>。
奥の<授与所>。
授与所の奥にある<九柱神社>。
拝殿の左側面にも<授与所>。
九所神社の右側にある<撫でうさぎ>。
撫でうさぎの右側にある<産湯の跡>。
産湯の跡の右側にある<お乳岩>。
拝殿の右手にある<火産靈神社・住吉神社・福智神社>。ほぼ授与所の一部になっている。
鳥居の外に出て、崖下を望む。
海に臨む<祓所>。
境内端から社殿方向を望む。
素晴らしい奇岩たち。
参道を半分ほど戻って、境内社が建ち並ぶエリアの<神門>。
神門をくぐって右側にある建物。祭器庫か何かかな。
一段高いところにある<鵜戸稲荷神社>への鳥居。
階段を登った突き当りが<鵜戸稲荷神社>。
鵜戸稲荷神社に向かって右後方にある<恵比須社>。
再度にもう一度、<社殿>全景。とっても印象深い建物~♪ (^▽^)/
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。