えだじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
江田神社ではいただけません
広告
江田神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年02月25日(土)
参拝:2023年1月吉日
【日向國 式内社巡り】
江田神社(えだ~)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町字産母にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は伊邪那岐尊、配祀神は伊邪那美尊。かつて「産母(やぼ)二柱大明神」、「産母さま」と称された。また<禊(みそぎ)発祥の地>、<祝詞(のりと)発祥の地>としても知られている。
創建は不詳。『古事記』、『日本書紀』には伊邪那岐尊が黄泉から帰還して禊を行ったとの記載があるが、禊を行った場所について『古事記』では「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」、『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記されているが、この「阿波岐原・檍原(あわきがはら)」が当地であると伝えられている。また祈年祭などの祝詞の口上でも「かけまくもかしこきイザナギノオオカミ、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」と読み上げられ、禊発祥の地であるとともに祝詞発祥の地であるとも言われる。
国史の初見は『続日本後紀』827年条で官社に預かったと記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 宮埼郡 江田神社 小」に比定されている。なお、境内から10世紀前後の須恵器が出土していることから、創建当初の場所に現在も鎮座していると考えられている。中世は京都の『清滝宮勧進神名帳』や『戒壇院公用神名帳』(1479年)にも記載が見られ、日向國を代表する神社であったとみられている。江戸時代は幕府領伊東氏飫肥藩預地であったが、1662年の外所(とんどころ)地震の大津波により社殿を喪失し衰退した。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR日豊本線・蓮ヶ池駅の東方2kmちょっとの、阿波岐原森林公園・市民の森の中、平地にある。境内西側には県道11号線が通っていてアクセスが良く、境内の東側すぐのところにフェニックス・シーガイア・リゾートがある。境内の境界は曖昧だが、南北に細長い境内は入口の鳥居から参道までが200mぐらいある。緑豊かな参道と大きな社殿のみでシンプルな造り。
今回は、日向國の式内社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、公園の中だからか、フェニックスリゾートの観光客がいるのか、境内はそんなに大きくないにもかかわらず、多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>(社号標は左灯籠の後ろにある)。
一の鳥居をくぐって進むと、参道左側に現れる謎のモニュメント。「宮崎=太陽」のイメージを具現化したものなのかな?(。´・ω・)?
参道途中にある<二の鳥居>。
参道の右側に現れる1本目の<御神木>。当社では御神木が2本ある。
こちらはクスノキの古木で、根上がり部分に瘤があるのが特徴。
こちらはクスノキの古木で、根上がり部分に瘤があるのが特徴。
参道左側の<手水舎>。
参道左側の<臨時授与所>。御朱印はこちら。
<拝殿>全景。左右に翼殿が付いた立派なもの。
<拝殿>正面。
拝殿後ろの<本殿>。
臨時授与所の後ろにある2本目の<御神木>。オガタマノキの古木。
参道の右手にある、注連縄で囲われた土地。<祓所>かな。
帰り道、駐車場から太陽のモニュメントを見ると、なんと「みそぎの碑」とある。さっき参道から見たのは裏面だったみたい。
ただ、この造形を見て、「みそぎ」を連想するのは相当難易度が高いかと。。。(^_^;)
ただ、この造形を見て、「みそぎ」を連想するのは相当難易度が高いかと。。。(^_^;)
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。