つみえじんじゃ
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都美恵神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月30日(月)
参拝:2024年12月吉日
倭姫命さまが天照大神さまの鎮座地を探して巡行し、その道中に営んだ行宮「敢都美恵宮」に比定される元伊勢の一つです。穴師谷という霊山近くに祀られていましたが洪水によって欠損し、現在地に遷座し柘植町の総鎮守となりました。総鎮守らしく4月5日の例祭はこの地域でかなり大きな規模で行われています。
《参道入り口と社号碑》
住宅地の間を縫うように伸びています。
住宅地の間を縫うように伸びています。
《一の鳥居》
この前に広い駐車場がありました。
この前に広い駐車場がありました。
《杜のカフェいこいこ》
今日は不運にも定休日でした。お腹空いてたんだけどな…
今日は不運にも定休日でした。お腹空いてたんだけどな…
《神宮遥拝所》
《手水舎》
水は流れていました。
水は流れていました。
《二の鳥居》
《由緒書き》
遷座前に穴石大明神と呼ばれていた時代がありますが、伊賀国阿拝郡の式内社として穴石神社があります。現在は伊賀市石川の穴石神社が比定されていますが、論社として挙がっていたのでしょうか。
遷座前に穴石大明神と呼ばれていた時代がありますが、伊賀国阿拝郡の式内社として穴石神社があります。現在は伊賀市石川の穴石神社が比定されていますが、論社として挙がっていたのでしょうか。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社の由緒については洪水によって失伝してしまったため直接の伝承は残っていませんが、『伊勢国風土記』の逸文に出雲族が北からこの地へ移住してきたとあり、地名の「柘植」の古語が「敢都美恵宮」の「都美恵」が転訛したものであるとされています。そうした論拠に基づいて都美恵神社に改称したものと思われます。
👁チェックポイント‼️
当社の由緒については洪水によって失伝してしまったため直接の伝承は残っていませんが、『伊勢国風土記』の逸文に出雲族が北からこの地へ移住してきたとあり、地名の「柘植」の古語が「敢都美恵宮」の「都美恵」が転訛したものであるとされています。そうした論拠に基づいて都美恵神社に改称したものと思われます。
《伊賀国内神社分布図》
《社務所》
普段は無人のようですが、拝殿内部が綺麗にされていたので、ご祈祷など祭りは普通に行われていると思われます。
普段は無人のようですが、拝殿内部が綺麗にされていたので、ご祈祷など祭りは普通に行われていると思われます。
すてき
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神祇伯1512投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(2/9更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
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