いてじんじゃ
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楽しみ方射手神社のお参りの記録一覧

【三重県 伊賀市(旧上野市)】(いてじんじゃ いでじんじゃ)
そのまま国道163号線に向かいます。
途中に今回参拝地となった射手神社が鎮座されています。
平安時代より武将の崇敬が高く、源義経も木曽義仲追討の際に祈願されたそうです。
この辺りは、三重県の最西端に位置します。
京都府・滋賀県・奈良県とも「国境」のある地域です。
また、「奈良街道(現国道163号線)」や「伊賀街道(現国道165号線)」など、古くからの街道もあります。
「ブラタモリ」でタモリさんが「断層好き」といつも言われるように自分は「国境周辺」に興味があります。
「断層」は自然の作ったものですが、その結果、人間が「国境」や「街道」「集落」を作ります。
時には、なぜここに「境」があるのだろう?といった「目に見えない線」もあります。
何か必ず理由があるはずです。
そして現在まで継承される「文化」となり、おもしろい「流れ」と感じます。
神社も寺院も街道や地域により随分と「流れ」が変わります。
その結果、「宗派」の違いや「建造物」の違いなども「現在」につながることが多いようです。
専門的に勉強したこともありませんが、「川一つ隔てれば・・・」「山一つ越えれば・・・」とか、
「県境を越えれば・・・」「○○村に行けば・・・」ってよく聞かれるセリフと思います。
時間があればゆっくりと「地元」の方にお話を聞きたいと思います。

社号標:後方の十三重石塔は、国の重要文化財(鎌倉~室町時代)

社頭鳥居

石段

手水鉢?

拝殿

本殿:北側
⇒彩色が鮮やかです。

本殿:南側
⇒北側同様に彩色されていますが、撮影困難

摂末社

倉庫と思われます。
⇒火事の跡でしょうか?外壁が焦げています。

北側門

北側門:境内より撮影
⇒東に伊賀市街地が一望できます。

創建不詳。
天武天皇が射手山に勧請したと伝わる。
西行が伊勢に住んでいた際度々参拝したという。
源義経が木曽義仲の追討の際、戦勝を祈願し矢を奉納したという言い伝えが残る。
1581年織田信長の伊賀攻め(天正伊賀の乱)の兵火で焼失し、仏性寺跡(現在地)へ遷された。
境内入り口両側にある十三重塔のうち左手の南方塔は室町前期(1333年~1392年)の建造で重文指定されている。



十三重石塔(南方塔)

十三重石塔(南方塔)

十三重石塔(南方塔)

十三重石塔(南方塔)

十三重石塔(北方塔)

十三重石塔(北方塔)

十三重石塔(北方塔)


拝殿

本殿

本殿



本殿
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