ぜんりんじ
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禅林寺ではいただけません
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禅林寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月02日(月)
参拝:2023年1月吉日
「祝 500投稿」節目の500投稿。我ながら結構投稿したものです。
三重県・愛知県寺巡りの2寺目は、1寺目と同じ三重郡菰野町に在る瑞光山 禅林寺です。
臨済宗妙心寺派で、本尊は大日如来。
この本尊・大日如来坐像は、町指定文化財です。拝観可能なのかわからなかったため、こちらも
菰野町教育委員会に連絡先をお聞きし、直接禅林寺さんにお電話してお聞きした所、厨子の扉は開けてあるので本堂が開いていれば(留守にしていなければ)いつでも拝観可との事でした。正月ならば墓参りの方がいらっしゃるので留守にすることは無いと思い訪れました。
伝えによれば、666年に聖徳太子の遺願により藤原鎌足が創建。盧遮那寺と号し、七堂伽藍を有する寺院であった。やがて衰退し、元弘年間(1331~2年)に大日如来を本尊として千種忠顕が再建。しかし、応仁の乱の兵火により焼失。1503年に千種城5代目城主の治庸が再建し、瑞光山 禅林寺と号し、天台宗から臨済宗に改宗。しかし、1568年に織田信長の兵火により再度焼失。1649年に鉄叟和尚が中興し、現在に至るとの事です。
寺院の北西側に10台位停めれる駐車場がありました。車を停めて、塀沿いに南側に廻って、いつも通りに山門から境内に入らせて頂きました。山門をくぐると正面に本堂、右側に鐘楼、左側には金毘羅堂・地蔵堂・手水・薬師堂があります。薬師堂には以前本堂の脇仏であった薬師如来坐像が祀られており、東海四十九薬師霊場の第9番札所本尊です。
本堂に入らせて頂きました。須弥壇の真ん中に厨子が置かれており、扉は開かれていました。中に本尊・大日如来坐像。高さ約50cm、鎌倉時代末期~南北朝時代の作。小さめの像ですが、宝冠をかぶり、存在感ありで、若々しく男前です。
拝観していたら丁度ご住職がいらっしゃったので、先日お電話した者ですと申し出て、ご朱印をお願いしました。(この寺院が薬師霊場とは知らず、御朱印は薬師霊場のモノを頂きました。)
三重県・愛知県寺巡りの2寺目は、1寺目と同じ三重郡菰野町に在る瑞光山 禅林寺です。
臨済宗妙心寺派で、本尊は大日如来。
この本尊・大日如来坐像は、町指定文化財です。拝観可能なのかわからなかったため、こちらも
菰野町教育委員会に連絡先をお聞きし、直接禅林寺さんにお電話してお聞きした所、厨子の扉は開けてあるので本堂が開いていれば(留守にしていなければ)いつでも拝観可との事でした。正月ならば墓参りの方がいらっしゃるので留守にすることは無いと思い訪れました。
伝えによれば、666年に聖徳太子の遺願により藤原鎌足が創建。盧遮那寺と号し、七堂伽藍を有する寺院であった。やがて衰退し、元弘年間(1331~2年)に大日如来を本尊として千種忠顕が再建。しかし、応仁の乱の兵火により焼失。1503年に千種城5代目城主の治庸が再建し、瑞光山 禅林寺と号し、天台宗から臨済宗に改宗。しかし、1568年に織田信長の兵火により再度焼失。1649年に鉄叟和尚が中興し、現在に至るとの事です。
寺院の北西側に10台位停めれる駐車場がありました。車を停めて、塀沿いに南側に廻って、いつも通りに山門から境内に入らせて頂きました。山門をくぐると正面に本堂、右側に鐘楼、左側には金毘羅堂・地蔵堂・手水・薬師堂があります。薬師堂には以前本堂の脇仏であった薬師如来坐像が祀られており、東海四十九薬師霊場の第9番札所本尊です。
本堂に入らせて頂きました。須弥壇の真ん中に厨子が置かれており、扉は開かれていました。中に本尊・大日如来坐像。高さ約50cm、鎌倉時代末期~南北朝時代の作。小さめの像ですが、宝冠をかぶり、存在感ありで、若々しく男前です。
拝観していたら丁度ご住職がいらっしゃったので、先日お電話した者ですと申し出て、ご朱印をお願いしました。(この寺院が薬師霊場とは知らず、御朱印は薬師霊場のモノを頂きました。)
すてき
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nomuten970投稿
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