黄檗宗和合山
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黄檗禅寺である和合山智福寺の創建は、菰野川原町の紺屋某が如来寺の開山祥蓮に帰依して出家、蓮西と号して菰野城の西、門内の地に小堂を建立したのがはじまりという。この地は寺の古跡で一本の山桜の老木が残り、その木の下に形ばかりの庵を結び観音像を祀っていたので桜堂とも呼ばれていた。享保4(1719)年黄檗宗の僧、賢州が近江から山越えで当地へ来錫(教えを説きに各地を回ること)、和合山智福寺として禅宗寺院を興した。その後は代々尼僧が住職を勤めた。
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