とうりんじ|臨済宗東福寺派|龍雲山
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桃林寺の編集履歴
2021年11月06日 14時27分
ご由緒
当山は安徳天皇の御宇養和元年(1181)平重盛公の次男小松新三位中将平資盛卿草創の道場にして開山は鳥羽天皇の第七皇子覚快法親王、第二祖は慈円大僧正であります。
創建当時寺領六百余石、末坊六ヶ寺、本尊無量寿仏、山門両脇士共に運慶の作にて七堂伽藍輪奥の美をなす近隣第一の臣利なりしも惜しむ、元弘建武の世天下大乱の折賊徒境を犯し、諸伽藍ことごとく破壊焼失寺宝烏有に帰す。その後も屢々祝融の災に罹りしも富有檀越有縁の持志に依りその都度再建今日に至る。
当山は釈迦牟尼仏を本尊とし本堂に達摩大師、文殊菩薩、鈴鹿七福神毘沙門尊天、観音堂に薬師如来、延命寺像菩薩、出世観音菩薩、癪観世奇菩薩、弘法大師、それに西国三十三ヶ所観音菩薩を奉祀しています。又、当山銅鐘は永享八年(1413)の作にて県下最古のもので県文化財に指定されています。
編集前:当山は安徳天皇の御宇養和元年(1181)平重盛公の次男小松新三位中将平資盛卿草創の道場にして開山は鳥羽天皇の第七皇子覚快法親王、第二祖は慈円大僧正であります。
創建当時寺領六百余石、末坊六ヶ寺、本尊無量寿仏、山門両脇士共に運慶の作にて七堂伽藍輪奥の美をなす近隣第一の臣利なりし
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