臨済宗東福寺派
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🌼神福寺(しんぷくじ)に参拝させて頂きました🙏 🌸神福寺はもと新福寺と称し、約600年の昔、平重盛の後裔、讃岐守定好が初めて鹿伏兎(かぶと・加太)に居住し、居城を白鷹城と名づけ、鹿伏兎の祖として加太家の追善菩提のため一宇の草庵を建立、その子定俊が、これを改めて上棟し、開通彗芳禅師を中興とし、仏通痴兀禅師を開山としました。🍁寺伝によれば、行基菩薩が伊勢神宮に、奈良大仏造営成就祈願に赴く途中、この地に泊まり、この避地(へきち)の行路者(こうろしゃ)の無難無障を念じ薬師如来一体を安置しましたが、たまたま東福寺仏通禅師が奈良を経て明星の安養寺に帰る途次、この霊仏を祀る薬師堂が荒廃しているのを憂い、村民に資を供し修復したといいます。☘️定俊は仏通禅師が平氏の裔で縁の厚いことを思い、東福寺大慈庵に仏通禅師法嗣傑山寂雄禅師を訪ね一宇建立を願いました。そこでその弟子開通恵芳に一寺を建立させ仏通禅寺を開山としました。🌺至徳元年(1384)と記録され、古い棟札に「伊勢路鈴鹿郡賀太 薬王山新福寺住持比丘恵芳 大檀那左京亮貞俊 大工藤原?」と記載があります。
👣所在地 : 三重県亀山市加太市場1718−2
🌷「御食事処 千元:ちもと/定食屋」 🌸 寺院で御朱印を頂き参拝後の昼時、寄りました。JRと国道が並行して走るところからUターンみたいに線路踏切を渡った所に有り、大きな看板もあり目立ちます。平日の昼間でテーブル席カウンタ席が満員で数十分待ちでしたが、回転は早いと感じました。店先の花壇が美しいく、
ランチタイムのメニュー写真のような感じで美味しくいただきました。
女性のみデザート付きでした(笑)
お一人様のお客様が多く、この近郊にはお昼時に美味しい頂ける食事処多いです。ご馳走様でした🙏🌷
ジャンボ 海老フライ定食
「御食事処 千元:ちもと/定食屋」
御朱印 神福寺(しんぷくじ)
鹿伏兎(加太)氏の菩提寺・神福寺全景
手前線路はJR関西本線
神福寺(しんぷくじ)
山門(扁額 白鷹峰)右表札:臨済宗神福禅寺
左表札:平重盛公後裔之菩提所
山門左手前設置標柱
表:鹿伏兎氏菩提所 右:鹿伏兎城址 山頂
本堂(扁額 瑠璃殿)
鐘 楼 神福寺(しんぷくじ)
観音堂(東海白寿三十三観音霊場 第15番)
鹿伏兎氏墓所
左側の五輪塔は神福寺創建の貞俊(定俊)墓
右側の五輪塔は慶応3年(1867)江戸麹町の
加太八右衛門が祖先追福のため建立
「御食事処 千元:ちもと/定食屋」
JRと国道が並行して走るところからUターンみたいに線路踏切を渡った所に有り、大きな看板がある店です。
カキフライ定食 「御食事処 千元:ちもと/定食屋」
加太駅の近くにあります。
知人を駅まで送った際に見かけたので寄らせて頂きました。
寺伝によると奈良期、行基上人が奈良大仏造営祈願のため この地に赴いた際、薬師如来を草庵(薬師堂)に安置したことを初源とします。その後、草庵は荒廃しましたが、至徳元(1384)年 この地の国衆 鹿伏兎加太定俊が東福寺の禅僧 開通恵芳を招いて鹿伏兎氏の菩提寺として開山したとされます。境内には鹿伏兎氏の墓石が残っています。
お寺の前にはJRが走っており、参拝するには遮断機の無い踏切を渡ります。左右を慎重に確認して渡らせて頂きました。
六地蔵
お墓の方にもお堂があります
線路の先が加太駅
加太駅
電車が来ました
この辺りは、旧街道の加太宿
名称 | 神福寺 |
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電話番号 | 0595-98-0557 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
東海白寿三十三観音霊場 第15番 | 御詠歌: おうじょうに のぞみをかくる ごくらくは つきのかたむく にしでらのそら |
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詳細情報
宗旨・宗派 | 臨済宗東福寺派 |
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