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日永神社ではいただけません
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日永神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年12月31日(日)
参拝:2023年12月吉日
所用で近くに行ったので寄らせて頂きました。あすなろう鉄道 南日永駅のすぐ東、住宅街の中、旧東海道沿いにある地域の氏神さまです。
慶長14年、天照大御神を当地に勧請し、南市場神明社が創建されました。その後、社名を南神明社と改称。明治40年、日吉神社、岡山白髭神社、山之神、並びに天正10年創建と伝えられる追分神明社をそれぞれ南神明社に合祀の上、日永神社とし、同44年、日永字蔵屋敷の池鯉鮒(ちりゅう)社、字登城山の稲荷社を合祀しました。
本殿前の石柱は昔、日永の神宮遥拝鳥居の傍に立てられていた道標です。この道標が立てられた明暦2年は神宮遥拝鳥居が建立されたときよりも約120年も前であり、東海道における最古の道標としても貴重なものです。
嘉永2年、神宮遥拝鳥居の脇に現在の立派な道標が立てられとき、この小さな道標が不要になり、近くにあった追分神明社の境内に移され、明治40年には追分神明社が日永神社に合祀された際に、道標も一緒にここに持って来られたとのこと。
慶長14年、天照大御神を当地に勧請し、南市場神明社が創建されました。その後、社名を南神明社と改称。明治40年、日吉神社、岡山白髭神社、山之神、並びに天正10年創建と伝えられる追分神明社をそれぞれ南神明社に合祀の上、日永神社とし、同44年、日永字蔵屋敷の池鯉鮒(ちりゅう)社、字登城山の稲荷社を合祀しました。
本殿前の石柱は昔、日永の神宮遥拝鳥居の傍に立てられていた道標です。この道標が立てられた明暦2年は神宮遥拝鳥居が建立されたときよりも約120年も前であり、東海道における最古の道標としても貴重なものです。
嘉永2年、神宮遥拝鳥居の脇に現在の立派な道標が立てられとき、この小さな道標が不要になり、近くにあった追分神明社の境内に移され、明治40年には追分神明社が日永神社に合祀された際に、道標も一緒にここに持って来られたとのこと。
すてき
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ゆきち1815投稿
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