こううんじ|臨済宗妙心寺派|祇陀山
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耕雲寺の編集履歴
2024年11月20日 10時24分
ふりがな
こううんじ
ご由緒
臨済宗妙心寺派の末寺で、本尊は聖観世音菩薩です。開創は慶長年間一六二〇年頃ですが火災により焼失で開山ならびに開基は不詳。
精鍛錬公禅師が再興に尽力され、元禄八年(1695)に京都の妙心寺頭麟詳院の鰲雲和尚を迎えて復興された。鰲雲和尚は妙心寺住世二三三世で大本妙心寺の再重職に叙せられた方で、その復興にあたり越智駿河守正喬公の父正則公の菩提追善のために供養を受けられた。正喬公は春日局の孫で、正喬公の中老子の三幅画軸が伝えられています。
精鍛錬公禅師は弟子の宣練首座と共に、享保一四年(1729)の堂干と共に焼死され、その後元文二年(1737)に頑溪全愚和尚が堂宇を建立した。神山志祐和尚が天明五年(1785)に観音堂を建立し、川東観音霊場の第四番札所です。
また石仏があり鎌倉中期ごろの作といわれ、叡山系石仏の流れをくむ弥陀九体仏と不動尊が大日堂に安置されています。
-京都亀岡保津川下りHPより-
ご祭神/ご本尊
聖観世音菩薩
山号
祇陀山
創立
慶長年間(1620年頃)
巡礼
丹波七福神第5番・恵比須尊
編集前:丹波七福神・恵比寿
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