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小林天満宮の御由緒・歴史
京都府 千代川駅

ご祭神菅原道真公
創建時代955年(天暦9年)
創始者伝:竹部源蔵治定
ご由緒

天満宮といえば、「北野天満宮」や「大宰府天満宮」が有名であるが、これらは、天神さんと慕われている菅原道真公が亡くなってから創建されたものである。小林天満宮は小さな神社ではあるが、生身天満宮と同時期・天暦九(955)年に創建されて、歴史ある天満宮となっている。御祭神は菅原道真公である。
当社境内に「菅公腰掛岩」と呼ばれる石があり、菅原道真公が園部からの帰途、里長の家で休息されたのが当社の起源であり「休み天神」ともいわれている。
菅公は大宰府に流されて、そこで亡くなられるが、ある日、菅公の御神霊が園部の生身天満宮に現れる。菅公の伴の者であった「竹部源蔵治定(通称・治定)」は園部に出向き、いつものようにして、御神霊を京都にお連れする。御神霊と小林村に差しかかった時、御神霊は、生前されたように小林天満宮の腰掛石で休みを取られる。そして、その場で治定に、筆道の極意を授ける・・・・と、みるみるうちに姿が見えなくなったという・・・・。
また、小林天満宮鳥居横に大きな桜の木がある。
この桜の木は、於長(おなが)の夫が大事にしていた木。夫は蒸発したけれども、於長は桜の木を夫と思い、毎日、手入れして育て、又、懸命に働いて幼い娘二人を育て、婦道(女性としての操)を守り通した。 桜の木は、於長の気持が通じたのか、毎年春になると見事な花を咲かせた。 そして、於長が亡くなった時に枯れてしまう。 誰云うとなく、その桜の木は「操桜(みさおさくら)」と呼ばれるようになった。その後、桜の根元から新しい芽が出、土地の人々の手により、神社境内に二世桜として移し植えられ、丹精にされて・・・、於長が亡くなって300年程が経つが、時には花見の会を催されて、於長を偲んでおられる。

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