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なすのよいちどう安楽山

那須野与市堂
京都府 亀岡駅

第2日曜日(月によって変更となる場合があります。)
10:00 開堂
11:00 例祭
13:00 閉堂

御朱印について御朱印
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パーキング
駐車場
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那須野与市堂の基本情報

住所京都府亀岡市下矢田町東法楽寺那須与一堂
行き方
アクセスを詳しく見る
名称那須野与市堂
読み方なすのよいちどう
通称那須与一堂
参拝時間

第2日曜日(月によって変更となる場合があります。)
10:00 開堂
11:00 例祭
13:00 閉堂

ホームページhttps://www.nasunoyoichi.com/

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号安楽山
宗旨・宗派
ご由緒

那須与一堂の前身は、平安時代の中期(一条天皇の時代)に安倍晴明が、現在地のこの辺りに法楽寺という寺院を建立したことから始まります。
本尊は阿弥陀如来坐像であり、作者は源信(恵心僧都)と伝わります。
寿永3年(1184)、源平の合戦の一ノ谷の戦いに向かう源義経軍に従軍していた那須与一宗高が、山城と丹波の境あたりで急に原因不明の病になり身体が動けなくなりました。たまたま法楽寺の阿弥陀如来の噂を聞き、お参りしたところ、たちまち平癒し、その御利益から阿弥陀如来を深く信仰しました。その後、阿弥陀如来の霊符を身につけて出陣すると毎戦軍功をあげ、中でも屋島の戦いでの扇の的を射抜く武功を挙げたことはあまりにも有名です。
そして、その後、武士を捨て法然の弟子となり、法楽寺を再興したといわれています。
社伝によりますと、江戸時代の享保元年(1716)に火災になり焼失。そこへ住民たちが駆けつけたところ、焼け落ちたお堂に、まばゆい金色に輝く阿弥
陀如来像が立っていたと伝わります。
その後、阿弥陀如来像は一旦近くの寺院に預けられていましたが、明治26年(1893)に地元の人々の手によって現在の場所に安置され、那須与一の伝承から『那須与一堂』と名付けられ、地域の高齢者の人々を中心に代々その信仰が受け継がれ現代に至ります。

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