なすのよいちどう
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那須与一堂(法楽寺跡)の編集履歴
2021年11月25日 22時29分
ご由緒
一条天皇の御代天文学の始祖安倍晴明は安行山西山山麓に法楽寺を建立阿弥陀如来像を本尊として深く信仰した。
その後200年平家の一の谷攻めに丹波路に入った源義経に従った那須与市はここで病の為動けなくなったがこの法楽寺本尊の霊験で快復した。のち屋島の合戦でこの霊符を身につけ再び霊験により有名な扇の的の武勲を建かたてられたので武士を捨て阿弥陀如来への信仰に余生を送ったという。享保元年(1716)法楽寺は焼失したが、焼け落ちた堂の跡には金色まばゆく本尊が立っていたといわれる。
今のお堂は見晴らしの良いこの地に土地の信者により信仰され那須与市堂と呼ばれるようになった。
駐車場
なし
トイレ
なし
参拝料
なし
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