おばたじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
小幡神社ではいただけません
広告
小幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年10月23日(月)
参拝:2023年10月吉日
穴太寺近くにある神社です。
犬飼川沿いにあります。
細い道を少し下って会館前に車を停めるスペースがあります。
こんもりとした林があるように見えるのが境内です。
ご祭神は開化天皇(かいかてんのう)で、配祀は彦坐王(ひこいますのおう=開化天皇の皇子)、小俣王(こまたのおう=開化天皇の孫)です。
境内は地域の氏子によってきれいに整備されており ゴミ一つ落ちていませんでした。
名前を知らないのですが 五角柱の石柱があり それぞれの面に
五穀祖神 倉稲魂命
農業祖神 天照太神
土御祖神 埴安媛命
護国護神 小彦名命
五穀守神 大巳貴命
と書かれていました。
詳細は不明ですが 末社・摂社(この違いがよく分からない)が4社ありました。
稲荷神社もありました。
社務所はまるで自治会館のような立派な建物でした。
由緒については
当社は 崇神天皇の命により派遣された四道将軍のひとり 丹波地域を治めた丹波道主命が 皇祖開化天皇を主神として祀ったことに始まるといわれ 開化天皇の御子の彦坐王と その御子小俣王の三代を奉斎しています。
また社伝等によると 和銅元年(708)に丹波国司大神朝臣狛麻呂が霊域に社殿を建立され 延長5年(927)に編纂された『延喜式』「神名帳」にも記載された古社です。
社殿の棟札によると 文和元年(1442)には管領細川政元の本殿造営とその後明応元年(1492)を始めとする修造 屋根の葺替えが行われています。
現在の社殿は天和3年(1683)に造立された一間社流造 檜皮葺の建物です。
亀岡市内で妻に二重虹梁大瓶束を用いた早い事例であり 京都府の登録文化財となっています。
また 社宝として全国に三幅といわれる円山応挙の絵馬の一つが保存されています。
境内由緒書きより
犬飼川沿いにあります。
細い道を少し下って会館前に車を停めるスペースがあります。
こんもりとした林があるように見えるのが境内です。
ご祭神は開化天皇(かいかてんのう)で、配祀は彦坐王(ひこいますのおう=開化天皇の皇子)、小俣王(こまたのおう=開化天皇の孫)です。
境内は地域の氏子によってきれいに整備されており ゴミ一つ落ちていませんでした。
名前を知らないのですが 五角柱の石柱があり それぞれの面に
五穀祖神 倉稲魂命
農業祖神 天照太神
土御祖神 埴安媛命
護国護神 小彦名命
五穀守神 大巳貴命
と書かれていました。
詳細は不明ですが 末社・摂社(この違いがよく分からない)が4社ありました。
稲荷神社もありました。
社務所はまるで自治会館のような立派な建物でした。
由緒については
当社は 崇神天皇の命により派遣された四道将軍のひとり 丹波地域を治めた丹波道主命が 皇祖開化天皇を主神として祀ったことに始まるといわれ 開化天皇の御子の彦坐王と その御子小俣王の三代を奉斎しています。
また社伝等によると 和銅元年(708)に丹波国司大神朝臣狛麻呂が霊域に社殿を建立され 延長5年(927)に編纂された『延喜式』「神名帳」にも記載された古社です。
社殿の棟札によると 文和元年(1442)には管領細川政元の本殿造営とその後明応元年(1492)を始めとする修造 屋根の葺替えが行われています。
現在の社殿は天和3年(1683)に造立された一間社流造 檜皮葺の建物です。
亀岡市内で妻に二重虹梁大瓶束を用いた早い事例であり 京都府の登録文化財となっています。
また 社宝として全国に三幅といわれる円山応挙の絵馬の一つが保存されています。
境内由緒書きより
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2098投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。