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国分寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年09月19日(月)
参拝:2022年9月吉日
京都府北部・中西部寺巡りの7寺目は、先の極楽寺と同じく亀岡市に在る護国山 国分寺です。今回の寺巡りの最後となります。
浄土宗で、本尊は薬師如来。
この薬師如来坐像は重文です。
無住で地区の方々でお護りされており、年に1度、9月10日に法要があり、この日だけ収蔵庫の扉が開かれて拝観出来ます。よって、今回の寺巡りは9月10日にした訳です。
奈良時代に聖武天皇の詔により全国に国分寺を建立、丹波国にも国分寺を建立するもやがて衰退。現在の国分寺は後継寺院。(石碑には国分寺址となっている)伝えによれば、戦国時代に明智光秀の兵火により焼失、元禄年間(1688~1704年)に再興、現在の本堂、山門、鐘楼は1774年に護勇比丘が建立。
広い畑、草むらの中に1ヶ所だけ少し木々がある所が境内です。丹波国の国分寺が在った場所なので、広大な敷地を有していたと思われます。境内の左側(西側)50m位にポツンと収蔵庫があります。この法要に合わせて地区の方々が周りを草刈りされた模様、誠にご苦労様です。
16時少し前に着きました。山門はありますが塀はありません。山門をくぐると正面に本堂、左側に石塔群と鐘楼、右側にはオハツキイチョウ(お葉つき銀杏)。一通り観てから収蔵庫へ。既に法要が始まっていました。(法要は大体16時~16半)法要が終わってご住職が退場されてから、収蔵庫に入らせて頂きました。
真ん中に本尊・薬師如来坐像。脇侍は日光、月光菩薩。奥の壁際の両側に6躯ずつの十二神将(痛みがひどく、1躯は台座のみの模様)。
薬師如来坐像は平安時代後期の作、一木造り。穏やかながら目力があります。
地区長?さんに閉扉の時刻をお聞きした所、大体18時位との事でした。
拝観を終え、愛知への帰路に着きました。
浄土宗で、本尊は薬師如来。
この薬師如来坐像は重文です。
無住で地区の方々でお護りされており、年に1度、9月10日に法要があり、この日だけ収蔵庫の扉が開かれて拝観出来ます。よって、今回の寺巡りは9月10日にした訳です。
奈良時代に聖武天皇の詔により全国に国分寺を建立、丹波国にも国分寺を建立するもやがて衰退。現在の国分寺は後継寺院。(石碑には国分寺址となっている)伝えによれば、戦国時代に明智光秀の兵火により焼失、元禄年間(1688~1704年)に再興、現在の本堂、山門、鐘楼は1774年に護勇比丘が建立。
広い畑、草むらの中に1ヶ所だけ少し木々がある所が境内です。丹波国の国分寺が在った場所なので、広大な敷地を有していたと思われます。境内の左側(西側)50m位にポツンと収蔵庫があります。この法要に合わせて地区の方々が周りを草刈りされた模様、誠にご苦労様です。
16時少し前に着きました。山門はありますが塀はありません。山門をくぐると正面に本堂、左側に石塔群と鐘楼、右側にはオハツキイチョウ(お葉つき銀杏)。一通り観てから収蔵庫へ。既に法要が始まっていました。(法要は大体16時~16半)法要が終わってご住職が退場されてから、収蔵庫に入らせて頂きました。
真ん中に本尊・薬師如来坐像。脇侍は日光、月光菩薩。奥の壁際の両側に6躯ずつの十二神将(痛みがひどく、1躯は台座のみの模様)。
薬師如来坐像は平安時代後期の作、一木造り。穏やかながら目力があります。
地区長?さんに閉扉の時刻をお聞きした所、大体18時位との事でした。
拝観を終え、愛知への帰路に着きました。
すてき
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