さいりんじ|天台宗|羽林山
西林寺の編集履歴
通称
もくげ地蔵
ご由緒
西林寺は慶俊僧都(781年に僧都に任ぜられ、延暦年間に90歳で寂される)を開基とする天台宗のお寺である。慶俊僧都がこの地で朝露に乱れ咲く木槿(むくげ)の草むらから地蔵尊を感得されたところから、今日木槿地蔵と呼ばれるようになった。
この地蔵尊というのはその昔、修験道の開祖である役行者が当山の付近において、松の根元から放つ瑞光を認めその地中より掘り出した石をもって刻んだとされている。かくして延暦年間(781~806年)、桓武天皇の勅命によりこの地蔵尊をもって皇城の地、火防守護のため、慶俊僧都は西林寺を創建されたのであった。
当山は「羽休山飛行院(うきゅうさんひぎょういん)」とも称されるが、それは愛宕山の天狗(太郎坊と呼ばれ日本一の天狗と位置づけられている)が都見物の折に、必ず当山の境内にある松で御羽根を休ませたと伝えられていることに由来する。当山の南方にある上木下・下木下町の名は、この「天狗の松」に由来するとも言われている。
以上のような由緒があり、かつては広大な境内を誇っていた当山ではあったが、いつしか人手に渡り世人の顧みない状態となってしまった。そんな中で先代の住職は大正末年に修験道を志し、近世山岳宗教を見直し探求を続け、敬信講を結成したのであった。
先代住職没後もその意志は受け継がれ敬信講は現在にいたる。敬信講はその目的とする大峰修行をはじめ、愛宕山では毎年7月31日(千日詣で)に、西琳寺においては例年11月23日に採燈大護摩供を厳修している。愛宕山の開祖は役行者、雲遍上人とされ、中興の祖を慶俊僧都と伝えているところからも、当山と愛宕山、あるいは修験道とは深い関わりを持つものとされる。
さらには西林寺では「もくげ会」を設立し、信者有志と共に仏縁を深め、西林寺復興に努めている。長い歴史を経て受け継がれてきた法灯を絶やすことなく後の世にまで伝えるべく毎月23日に会を催している。
創立
延暦年間(782~805年)
創始者/開山・開基
慶俊僧都