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てんねいじ|曹洞宗萬松山

天寧寺の御由緒・歴史
京都府 鞍馬口駅

ご本尊釈迦如来
開山・開基傑堂能勝大和尚
ご由緒

山号は萬松山と号し、曹洞宗に属する。天寧寺はもとは会津若松にあり、開山傑堂能勝大和尚は楠木正成の八男であると言われている。天正14(1586)年天正の変(伊達政宗会津侵入)のため天寧寺も全焼した。十世住職祥山曇吉大和尚は焼け残った本尊や法宝等を収拾し、門人光吉和尚を伴い京都寺町頭天台宗休憩法師松蔭坊の遺跡を紹いで、萬松山天寧寺を復興された。弟子元室光吉のは、後陽成天皇御便殿に召され親しく佛心宗の要を問われたが応対一々叡旨にかない、後に御水尾天皇特に勅賜号を賜り佛心圓融禅師と称された。天明の大火の際に焼失したが、再建し今日に至り、当時開創より約四百年になる。
本尊は仏師春日作と伝えられる釈迦如来である。また観音堂には御水尾天皇の念持仏「十一面観音菩薩」及び東福門院の念持仏「薬師如来」が安置されている。明治元(1868)年には、近代曹洞宗史に重要な位置をしめる「碩徳会議」の会場となった。
境内墓地には、江戸時代前期の茶人として有名な金森宗和公、剣道示現流開祖と言われる善吉和尚の墓がえる。また山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額縁に入れたように見えるところから「額縁の門」といわれる。昭和62 年5 月には、本堂の前の榧の大木が「京都市登録の天然記念物」に指定された。

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