こんたいじ|臨済宗妙心寺派大本山妙心寺境外塔頭
金臺寺(金台寺)の編集履歴
宗派
臨済宗妙心寺派大本山妙心寺境外塔頭
編集前:臨済宗妙心寺派
名前
金臺寺(金台寺)
編集前:金台寺
ご由緒
金台寺(こんたいじ)・金臺寺は平安時代中期に寛平法皇(第59代・宇多天皇)の孫で、敦固親王(あつかたしんのう)の第3王子であった真言宗の僧・寛忠(かんちゅう・池上僧都(いけがみのそうず))が真言宗泉涌寺派の総本山・泉涌寺(せんにゅうじ)の末寺として創建したと言われています。寛忠は906年(延喜6年)に生まれ、祖父・寛平法皇のもとで出家し、淳祐(じゅんゆう)・寛空(かんくう)から灌頂(かんじょう)を受け、真言密教広沢流の法を嗣ぎ、権少僧都(ごんのしょうそうづ)・東寺長者(とうじちょうじゃ)などを歴任しました。その後北山に移され、安土桃山時代(戦国時代)の1576年(天正4年)に第106代・正親町天皇から再興の綸旨が下されました。江戸時代初期の1607年(慶長12年)に妙心寺131世・輝獄宗暾(きがくそうとん)が国泰寺(こくたいじ)と寺号を改め、1637年(寛永14年)に鳳台院(ほうだいいん)と更に改められ、臨済宗妙心寺派の大本山・妙心寺(みょうしんじ)の境外塔頭(けいがいたっちゅう)になりました。なお1876年(明治9年)に金台寺に寺号が改められました。
金台寺は臨済宗妙心寺派大本山・妙心寺の塔頭です。
編集前:金台寺(こんたいじ)・金臺寺は平安時代中期に寛平法皇(第59代・宇多天皇)の孫で、敦固親王(あつかたしんのう)の第3王子であった真言宗の僧・寛忠(かんちゅう・池上僧都(いけがみのそうず))が真言宗泉涌寺派の総本山・泉涌寺(せんにゅうじ)の末寺として創建したと言われています。寛忠は906年(延喜6年)に生まれ、祖父・寛平法皇のもとで出家し、淳祐(じゅんゆう)・寛空(かんくう)から灌頂(かんじょう)を受け、真言密教広沢流の法を嗣ぎ、権少僧都(ごんのしょうそうづ)・東寺長者(とうじちょうじゃ)などを歴任しました。その後北山に移され、安土桃山時代(戦国時代)の1576年(天正4年)に第106代・正親町天皇から再興の綸旨が下されました。江戸時代初期の1607年(慶長12年)に妙心寺131世・輝獄宗暾(きがくそうとん)が国泰寺(こくたいじ)と寺号を改め、1637年(寛永14年)に鳳台院(ほうだいいん)と更に改められ、臨済宗妙心寺派の大本山・妙心寺(みょうしんじ)の境外塔頭(けいがいたっちゅう)になりました。なお1876年(明治9年)に金台寺に寺号が改められました。
金台寺は臨済宗妙心寺派大本山・妙心寺の塔頭です。
アクセス
嵐電(京福電鉄)北野線
等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅より徒歩約3分
バス停 等持院南町徒歩約10分
編集前:嵐電(京福電鉄)北野線
等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅より徒歩約3分
バス停 等持院南町徒歩約10分