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2025年02月03日(月) 23時40分 bysoo_cyan
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当地(小松谷)は昔、小松内大臣・平重盛公の別邸(小松殿)で、四十八の灯籠を点して念仏行道された所処であったが、平家没落の後、九条関白兼実公の山荘となった。兼実公は月輪御殿造営の時、宗祖法然上人のためにこの地にお堂を建て、上人を招き、法談を聴き、ついに建仁2年(1202)剃髪出家された旧跡である。法然上人は建久9年(1198)、兼実公の願いにより「選擇本願念佛集」を著述し、鎮西聖光房にお渡しになる。また元久2年(1205)上人が病になられた時、兼実公は聖覚法印に命じて病の治癒を祈らせたと伝えられている。兼実公の師事とともに、上人にとって小松谷は最もご縁深き遺跡である。しかし、上人は弟子の住蓮房・安楽房の罪により、流罪の身となり建永2年(1207)75歳の老齢でこの地から配所四国に出立されることとなる。 その後、応仁の兵乱によりこの地も廃絶していたが、江戸時代の正徳年間(1711~1715)に知恩院の義山大和尚や、その弟子の慧空和尚により再興されることとなる。慧空和尚の熱意は月輪殿下の子孫である九条家を感動させ、享保20年(1735)同家の河原御殿の一部をいただき本堂とした。今の大師堂がこれである。後、延享・宝暦年間にわたり阿弥陀堂・山門・鐘楼などが完成し洛東名伽藍の一つとなった。
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九条兼実
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法然上人・九条兼実
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