いまひえじんぐう
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楽しみ方新日吉神宮のお参りの記録一覧
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くるくるきよせん
2023年01月11日(水)3171投稿

ねむのき
2022年05月14日(土)785投稿

しん
2023年04月13日(木)2967投稿

ジンジャー
2019年01月21日(月)1664投稿
ハナナチエ
2018年12月25日(火)2214投稿

garu
2017年11月05日(日)615投稿
他の方が書いていらっしゃるように、本来はとても静かな神社だったはず(笑)ところがこの日、隣にある京都女子大が学園祭をしてまして、そりゃぁ、賑やか賑やか(笑)
元妙法院門跡境内にあった神社で神仏分離によって離された神社です。
ここはこの奥が秀吉の墓所となっている山がありまして、豊国神社がその北側に立っていたんですが、家康が天下を取ったと同時にこの神社は壊され、参道にはお参りが出来ないように岩を置いたと言われています。
しかしながら、秀吉恩顧の武将の子孫たちがこっそりと名前を変えて秀吉をお祀りしていたようで、妙法院の鎮守社として当時境内にあった日吉社(天台宗の鎮守として坂本に日吉大社がある)を勧請したのですが
そこに「樹下社」と言う境内社を建てたそうです。
それが現在ここに残っており、「豊国社」として境内社として鎮座しています。
何故日吉社にという事ですが、秀吉の幼名が日吉丸であった事からですって。
日吉の神の使者がどうして「猿」であるかと言うのは諸説ありまして、その一つにニワトリと同じ理由(笑)
猿は夜明けが来ると騒ぐんですって。それで朝を伝える使者として日吉の神の使者と言われているという話もありますが、庚申信仰との関係もあるようでよくわかっていません。
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