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霊雲院ではいただけません
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霊雲院のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年12月09日(月)
参拝:2024年12月吉日
京都市東山区にある東福寺の塔頭の1つです。
以前お参りした際には 拝観の看板が出ていたのですが 時刻が遅かったからかもしれないのですが拝観できませんでした。
今日はしっかり早い時刻に 秋季特別拝観を期待してお参りしました。
いやいやなんと 通常公開寺院でした。前回は私がタイミング悪かっただけでした。失礼しました。
途中 臥雲橋からの紅葉がとてもきれいでした。
先週も良かったのですが さらに赤が強く出ていてきれいでした。
ネット情報です。
霊雲院は 明徳一年(1390)に岐陽方秀(きようほうしゅう)が建立した不二庵にはじまる。
寛永年間(1624 〜 1644)に不二庵の住持となった第七世 湘雪守沅(しょうせつしゅげん)は肥後熊本の出身であり 藩主 細川忠利・光尚親子の帰依を受けて繁栄した。
境内には豊臣秀吉が主催した北野茶会で使用された二階建ての茶室 観月亭が移築されている(非公開)。
また霊雲院は 幕末に西郷隆盛と攘夷派の僧 月照が密議を交わしたという逸話も残るほか 日露戦争でロシア人捕虜の収容所にもなったという歴史がある。
書院前庭は「九山八海の庭」または「霊の庭」と呼ばれる枯山水。
以前お参りした際には 拝観の看板が出ていたのですが 時刻が遅かったからかもしれないのですが拝観できませんでした。
今日はしっかり早い時刻に 秋季特別拝観を期待してお参りしました。
いやいやなんと 通常公開寺院でした。前回は私がタイミング悪かっただけでした。失礼しました。
途中 臥雲橋からの紅葉がとてもきれいでした。
先週も良かったのですが さらに赤が強く出ていてきれいでした。
ネット情報です。
霊雲院は 明徳一年(1390)に岐陽方秀(きようほうしゅう)が建立した不二庵にはじまる。
寛永年間(1624 〜 1644)に不二庵の住持となった第七世 湘雪守沅(しょうせつしゅげん)は肥後熊本の出身であり 藩主 細川忠利・光尚親子の帰依を受けて繁栄した。
境内には豊臣秀吉が主催した北野茶会で使用された二階建ての茶室 観月亭が移築されている(非公開)。
また霊雲院は 幕末に西郷隆盛と攘夷派の僧 月照が密議を交わしたという逸話も残るほか 日露戦争でロシア人捕虜の収容所にもなったという歴史がある。
書院前庭は「九山八海の庭」または「霊の庭」と呼ばれる枯山水。
東福寺近くの紅葉
臥雲橋からの紅葉
山門
寺標
境内の様子
九山八海の庭
遺愛石を中央に据えて須弥山に見立て 白砂で九山八海を表現している
臥雲の庭 白砂 滝組 赤砂を組み合わせて雲や水の流れの美しさを現している
中庭
すてき
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くるくるきよせん2098投稿
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