いちじょうでん しんぜんこうじ|真言宗泉涌寺派
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一條殿 新善光寺の編集履歴
2023年06月19日 00時43分
名前
一條殿 新善光寺
編集前:新善光寺
ふりがな
いちじょうでん しんぜんこうじ
編集前:しんぜんこうじ
ご由緒
寛元元年(1243)、後嵯峨天皇の勅願により創立、本尊は信州善光寺阿弥陀如来と同仏同体に鋳造された鎌倉時代の作である。
後嵯峨天皇は常に宮中に安置なされ、都の内外万民に至るまで信濃の国へは遠き山路を超え、日を経ずしては到着することができず、また、志あれども思うにはまかせざる者の為に、一条大宮に大梵刹をおこし「値願」を請して開山、寺号を「新善光寺」と賜るにはじまる。
応仁年間に兵火にかかるが、文明五年(1473)後土御門帝の勅により泉涌寺に移され現在に至る。
春の枝垂桜、秋の紅葉が魅了する庭園には愛染明王をまつる愛染堂があり、敬愛和合・恋愛成就を祈願する方々の信仰が厚い。
本堂、客殿、玄関、表門、中門は京都府暫定文化財に登録されている。
編集前:寛元元年(1243)、後嵯峨天皇の勅願により創立、本尊は信州善光寺阿弥陀如来と同仏同体に鋳造された鎌倉時代の作である。
後嵯峨天皇は常に宮中に安置なされ、都の内外万民に至るまで信濃の国へは遠き山路を超え、日を経ずしては到着することができず、また、志あれども思うにはまかせざる者の為に、一条大宮に大梵刹をおこし「値願」を請して開山、寺号を「新善光寺」と賜るにはじまる。
応仁年間に兵火にかかるが、文明五年(1473)後土御門帝の勅により泉涌寺に移され現在に至る。
春の枝垂桜、秋の紅葉が魅了する庭園には愛染明王をまつる愛染堂があり、敬愛和合・恋愛成就を祈願する方々の信仰が厚い。
本堂、客殿、玄関、表門、中門は京都府暫定文化財に登録されている。
御朱印帳
あり
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