とううんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
東運寺ではいただけません
広告
東運寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年05月04日(水)
参拝:2022年5月吉日
徳川2代将軍秀忠の老中であった永井尚政公が淀藩に入り、淀城の初代城主となった。
ある時、尚政公は、領内にあった道元禅師が日本で最初に開いた道場である「興聖寺(こうしょうじ)」が
今は廃絶していることを知った。
そのことを惜しんだ尚政公は両親の菩提を弔うため、伏見城の遺構を用いて宇治の地に再興した。
その時の住職が東運寺を開いたそう。
薬師堂
こちらの薬師如来は、、石清水八幡宮に仕える河原﨑忠俊(かわらさきただとし)の私物だった。
源義経が兄の頼朝に追われた時
忠俊は流れてきた義経をかくまい、淀川から船で逃がした。
これが頼朝の怒りを買い、忠俊は打ち首を命じられ
あわや刀が、その首を切り落とそうとしたそのとき、鳩が2羽舞い降りて刀に止まり
頼朝は、この鳩を八幡神の使いとみて、忠俊を許した。
忠俊は、「東(鎌倉)」の「運」にかなったと感じ、みずから建てたお寺の名を「東運寺」としたとされている。
ある時、尚政公は、領内にあった道元禅師が日本で最初に開いた道場である「興聖寺(こうしょうじ)」が
今は廃絶していることを知った。
そのことを惜しんだ尚政公は両親の菩提を弔うため、伏見城の遺構を用いて宇治の地に再興した。
その時の住職が東運寺を開いたそう。
薬師堂
こちらの薬師如来は、、石清水八幡宮に仕える河原﨑忠俊(かわらさきただとし)の私物だった。
源義経が兄の頼朝に追われた時
忠俊は流れてきた義経をかくまい、淀川から船で逃がした。
これが頼朝の怒りを買い、忠俊は打ち首を命じられ
あわや刀が、その首を切り落とそうとしたそのとき、鳩が2羽舞い降りて刀に止まり
頼朝は、この鳩を八幡神の使いとみて、忠俊を許した。
忠俊は、「東(鎌倉)」の「運」にかなったと感じ、みずから建てたお寺の名を「東運寺」としたとされている。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。