せんねんじ|浄土宗捨世派|放光山
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専念寺の編集履歴
2024年07月10日 22時25分
宗派
浄土宗捨世派
ご由緒
専念寺は山号を「放光山」と号し、知恩院の勢至堂前の一心院の末寺として創建されました。
御牧勘兵衛の父・摂津守益景は、山城地方に浄土宗の布教を務めた称念上人(1513~1554)に深く帰依して法名を「浄念」と号し、室町時代の天文18年(1549)に専念寺を創建して浄土宗捨世派の専修道場としました。
寺伝によると、豊臣秀吉(1537~1598)が造営した聚楽第の御殿の一部を、天正15年(1587)に御牧勘兵衛が移築し、御殿が樫の木で造られていたことから、「樫寺」と呼ばれたとも伝わります。
江戸時代の寛永元年(1624)に発生した大洪水で流出し、江戸時代に再建されましたが、現在の本堂は歴史を感じさせない近代的な建物になっています。
本尊は、鎌倉時代作の阿弥陀如来立像で、絹本薯色阿弥陀三尊来迎図
(掛軸装・室町時代)が寺宝として所蔵されています。
また、本堂に安置されている聖観音像は、「安産に霊験あらたか」との伝承が残されています。この観音像は、第3代天台座主・慈覚大師円仁(794~864)が唐で修行中に刻んだ像で、帰国後第55代・文徳天皇(在位:850~858)の勅によって皇后の安産祈祷を行い、無事に出産されました。慈覚大師入滅後、この像は土佐国の堂宇に安置されていたのですが、専念寺18世・皆誉上人によって修復が行われ、後代住職のために記した「観世音縁起」として伝えられています。
ご祭神/ご本尊
阿弥陀如来立像
編集前:阿弥陀如来
創立
1549年(天文18年)
創始者/開山・開基
御牧益景(浄念)
巡礼
城南近在三十三所観音霊場第16番
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